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2006年11月27日 (月)

氷川丸

 25日のイベントは午後からだったので、午前中に氷川丸へ行ってきました。
横浜・山下公園のこの船は、戦前の豪華客船の中でゆいいつ太平洋戦争を生き延びた、歴史ある船ですが、今年のクリスマスで営業を終えるそうです。

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 日本でまともな全溶接船が作られるようになったのは戦後なので、この船はリベットだらけです。三度も機雷をくらっても沈まなかったというだけあって、防水扉は立派なもの。プロムナードデッキやスモーキングサロンは、家が建つほど高価な船賃がかかったというだけあって、木とニスの香りのするすてきな空間でした。明治村を思い起こしたな。
 ブリッジは計器がほとんどなくて微笑ましい。戦中はレーダーもなかったはずなので、それこそ、この空間に人がいっぱいいたのでしょう。

 ところで、どうもやっぱり目に見えてスパムが増えたので、レス書き込みのメール入力要求をとりやめます。
 要は、常用のハンドルなり、本名なり、責任の持てる名前で書き込んでほしいということです。

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2006年11月24日 (金)

25日土曜日、東京でサイン会します

 明日土曜日の午後二時から、東京・秋葉原の書泉ブックタワー9階で、作家の冲方丁さんとトークショー&サイン会をやります。

そのために、早川からいただいていた冲方さんの最新刊、マルドゥック・ヴェロシティ1~3を通読。
プロローグに目を通したとき、一風変わった羅列的な文体に抵抗を覚えて、数日放っておいたんだけど、いざ腰を据えて読み始めると、これが恐ろしいほどの面白さ。文体への抵抗もいつしか忘れて、一気に読みきってしまった。ああ寝不足。

前作に当たるマルドゥック・スクランブルを読んだのは数年前(そのときも冲方さんと対面する直前だったな)。忘れている部分もあったが、いくつもの記憶が「ヴェロシティ」のおかげで呼び覚まされた。ウフコック、ドクター・イースター、ボイルドの三人の過去が濃厚に描き出されているのは当然として、そういえばこんな奴もいたなあ、という端役もきちんと拾われていたのでにやにやした。
文体の違いは気にならない、というよりも、「ヴェロシティ」を読んだ後、いま「スクランブル」を読み返してみると、旧作の文体が冗長であるような気さえしてくる。もちろんそれは錯覚なのだけど、新作の文体は、畳みかけるようなストーリー展開と相乗して、大変なスピード感を生み出している。これはありだと思った。

いろいろ感想を話すつもりなので、明日はどうぞご来店を。

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2006年11月21日 (火)

舌の方向

 まぐろ漁獲量が大幅に制限される、と今朝のワイドショーでやっていた。安い赤身のマグロをトロのようにして食べる技、ということで、スタジオにマヨネーズまぐろが出た。コメンテーターたちはむやみとケチをつけていたが、中で一人、「安い赤身は赤身なりにおいしいから(そんなことをする必要はない)」とうまいコメントをしている人がいた。ああ世渡りとはこうやってするんだなあと思った。

狂牛病、鳥インフルエンザ、裏ポークと来て、今度はマグロ飢饉。ひょっとすると自分たちは、天然のたんぱく質を庶民が好き勝手に食える、地球最後の世代なのかもしれない。
だから、そうだ! どんなにジャンクなたんぱく質でも気にせず食べられるような舌の鈍さは、むしろ喜ぶべき? ――などと一瞬考えてしまった。そんな後ろ向きではいかん。

文明が崩壊しない場合、近い将来にたんぱく質といえば養殖もののことになり、さらに未来には組織培養されるブロック肉が当然になるだろう。牛に餌食わせて育てるのはいろいろ無駄だから。
それはそれで楽しみなので早く実現するといい。

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2006年11月20日 (月)

リアルにしんぎゅらる

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金子隆一氏の「究極のサイエンス 不老不死」を読んだ。現在の科学の延長上に不老不死があり、それが可能であることが、わかりやすく書かれた本。
感心したのは、この本をSFファンでもなんでもないうちの親に見せても、多分半分ぐらいは通じるだろうなと思わされたこと。「部外者にもわかりやすく書く」というのは自分で意識していることの一つなので、うなずかされた。

主にSFマガジンなどで、人類の生産手段から技術的制約がなくなり、人間が肉体を離れた時代(近頃はそういう転回点のことを、シンギュラリティ・ポイントを越えた、というらしい)のことを何作か書いたことがある。でも、こういう本が一般書として出回る時代には、あの程度の内容ではいかん。
もっと面白いことがいろいろできるよな。

金子氏の本では、「新世紀未来科学」もおすすめ。……って、どっちも品切れ? もったいない~。 

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2006年11月12日 (日)

火の季節

 今日は本格的な寒さを感知したので、ついに灯油ストーブを出した。
冬将軍の尖兵を迎え撃つつもりで点火。

それと同時に、火災報知器を買ってきた。煙感知型で3980円。
ちょっと前から電熱ストーブをつけているが、消したかどうか気になって寝床から仕事部屋に戻ることがままあった。今年はまだだが、過去一度だけ、消し忘れていたことがある。幸い、綿入れの袖を焦がしただけで済んだが、あれはかなり危険なインシデントだった。
天井にネジで取り付ける。特に問題もなく設置完了した。
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先月半ばから、近所で消防車の出動が増えている。まったく他人事じゃない。

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2006年11月10日 (金)

鉄塔異聞

 4日の記事で、イギリスの鉄塔が小さいと書いた。日本の鉄塔の規格が最大で76万ボルトであると記憶していたからだけど、どうもうろ覚えっぽかったので調べなおしてみた。
 すると、76万という電圧ではヒットしない。最新最強の超高圧線は100万ボルト(業界では1000KVという表記をするようだ)だと出た。その下に、各地をつなぐ50万ボルト、27万5千ボルト、15万4千ボルト、6万6千ボルトの各規格の幹線があり、そのまた下に6600ボルトの電柱線があるらしい。
 ともかく、イギリスの一地方の鉄塔を見ただけで日本より小さいと断じるのは、不適当だと気づいた。単に印象として、華奢な感じがしたと述べておくにとどめたい。
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写真:サリー州の鉄塔

 日本に鉄塔が多いという印象はどこから来るんだろう? ひとつの理由として、山地が多いために地下ケーブルが埋められず、実際に鉄塔が多いということ、もうひとつに、山上の鉄塔が目立つということがあげられるんじゃないかと思う。
 絶縁の問題から、あまり電圧の高い線は埋められないとも聞いた。しかし、いかん、これもうろ覚えだ。知らないことが多い。

 送電鉄塔はその特異な形状からマニアがいて、ファンサイトも作られている。掘り下げていくと面白そうなので、今後意識してみることにする。

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2006年11月 9日 (木)

水星の太陽面進入

九月に打ち上げられた太陽観測衛星ひのでが、さっそく成果を送ってくれました。
http://hinode.nao.ac.jp/news/061109MercuryTransit/
動画が美しい~。

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2006年11月 6日 (月)

雑誌アスタ[asta*]2号

本日発売です。連載短編の第2話を書きました。読みきりなので1話を読んでいなくとも大丈夫です。
ポプラ社より。
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2006年11月 4日 (土)

大英帝国上陸計画09 三日目の報告

●10月25日 曇りのち雨
06:00 起床して昨日の日記を書くが、ほとんど進まず。
07:15 ホテルのレストランに食事に行ったら、受付でやや煩雑なやりとりがあり、紙にサインするよう求められる。料金は払ってあると言ってみたが、とにかくサインしろという。めんどくさいのでする。
07:40 出発。今日の目標はポーツマス港で王立潜水艦博物館とビクトリー号を見ること。
 ピカデリー線でピカデリーサーカスまでいき、ベーカールー線に乗り換えてウォータールー国際駅を目指す。ルーってなんだろうと思ったので調べてみたら、ルーそのものには意味はないらしい。ワーテルローの戦いの英語読みがウォータールーであり、ウォータールー駅はそれを記念して名づけられた駅であり、そのウォータールーとベイカー街を結ぶから、両家取りしてベイカー・ルーらしい。
 こういう薀蓄調査用・兼・英語辞書として、SIIの電子辞書SR-E8000を帯同したら、旅の間を通じてめちゃくちゃ役に立った。
8:30 ウォータールー駅到着。地下鉄から、日本のJRにあたるBRの駅へ出る。コンコースは簡単に言うと櫛型。主通路に直角に多くの路線が発するターミナル駅。線路の反対側には店が多数。やや違うが、名古屋の金山総合駅を二倍の大きさにした感じ。
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 コンコースのあちこちにでっかいディスプレイがあり、出発便が表示されているので、目的地を探すのは簡単。ポーツマス・ハーバーランド行きが9番ホームから8:30分に出る由である。何、八時半? もう時間じゃないか。
 しかしそこで、イギリスの鉄道は決して時間通りに出ないという俗言を思い出す。嘘かまことか確かめることにし、悠然と切符を買いにいく。
 クレカを使う切符自販機の操作ははっきり言ってよくわからなかった。アダルト、シングル、ラウンド(往復)を選び、アルファベット頭だしで目的地を選び、ルートをエニーパーミテッドにする。経由駅自由ということだろう。カードを刺したら一瞬で戻ってきたので、突っ返されたのかと思ったぐらい。しかし切符は発行され、往復通じて問題なく使えた。往復23.3ポンド。邦貨換算で5100円。ポーツマスまでは百キロ以上あるので、まあこんなもんか、と。
 9番ホームに入ると、思ったとおりまだ列車が待っていた。ドアが目の前で閉まったのでちょっとあわてたが、中の職員がボタンを押して開けてくれた。ブリティッシュ・レイルの車両はドアがマニュアル操作。一等車ではない車両に乗り込み、適当な席に座る。客は8分の入り。
 8時46分に出発した。
9:00 BRの地上車は地下鉄と比べて非常に快適だった。モダン、大きい、揺れない、きれい。この辺が鉄道先進国なのかと納得。特に静けさと振動のなさは素晴らしい。先頭車両に動力を集中する牽引式として、かつ、車両接続部に台車をもってきているからである、と物の本には書いてあったが、これは乗って初めて実感できる快適さだ。体感速度はJR車両の半分ぐらい。あ、いわゆるヨーロピアン大型バイクがこんな感じなのかも。当然ロングレールも採用してあった。
 出発して間もなく、ギルフォードの駅でぞろぞろと人が降り、ほとんど空席となった。ますます快適だが、これは鉄道会社も儲からんなあ。
 しかしおかげでイギリスの田舎の風景を堪能できた。
 どんよりと曇った空の下、山というほどでもない漠然とした起伏しかない土地に、太く高いオーク樹の疎林が茂り、下草の間を黒い小川が流れ、緑の芝地が飛び飛びに現れる。民家は少なく、畑にも人がいない。路駐は多いが、走っている車をあまり見ない。寂寥という言葉がぴったりあてはまる。うーむこれがホーンブロワーが鹿爪らしい顔をして歩いた、イギリスの大地なのだなあ。
 北海道そっくりの風景といわれるが、もっと適切なたとえがある。そこらじゅうがゴルフ場なのだ。というか、ゴルフ場という代物は、あれは多分イギリスのこの風景をまねて世界中に広まったのではないか。自国と同じ遊びをしようとしたイギリス人たちが、一緒にこの造作まで輸出したものだろう──などと思いにふけりながら外を見ていると、実際芝生の中に旗が立っていて、ゴルフ場みたいではなくゴルフ場そのものであることが判明したりする。油断ならん。
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 しかし馬がいる。牛もいる。羊もいればロバもいる。その辺りは確かに牧草地だ。一度、牛ぐらいある巨大な羊を見たような気がするが、あれは一体なんだったのか。
 日本の風景を特徴づけ、また壊滅的に破壊している、鉄骨造りの高圧線鉄塔。あれは英国にないのかと思ったら、あることはある。たまに野っぱらを延々と横切っていく。しかしだいぶ小さく、せいぜい数万ボルト級の鉄塔と見た。七十六万ボルトを通す日本の大鉄塔ほどではない。
 しかし民家の周りの6600ボルト線はまったくない。すべて地中式らしい。これが風景をとてつもなく端正にしている。看板が少ない、というより、看板以前に文字というものの掲示が少ないせいもあって、景色に落ち着きを感じる。この辺り、景観をトータルで考えずにむやみと看板を立てる日本人は、確かにアジア人なのだと実感する。
 言い忘れていたが列車の架線もない。線路上に絶縁設備が見当たらなかったので、ディーゼルらしい。
 家屋敷は何か根本から日本のものと違う。どう違うのか三日間考えていたが、この日になって解けた。オールレンガなのだ。レンガレンガレンガ。とにかくどっしり、風格作り。そしてペンキペンキペンキ。レンガ家屋は長持ちするが汚れる(必ず煙突があるから)。そこでペンキを塗りたくる。そうやって日本家屋の倍ぐらい持たせたのが、イギリスの家々だ。
 家だけじゃない。役場もレンガ、倉庫もレンガ、陸橋もレンガ、工場もレンガ。新建材作りもあるにはあるが、数えるほど。パトリシアン2という洋物のPCゲームで、レンガとビールがもっとも基本的な資源として扱われている理由が、ようやくわかった。ここの連中はレンガがないと本当に家が造れないんだ。まあ、地震も台風もないからなあ。
 関係ないが、ホテルの近所のアールズコート駅の天蓋は、ぎょっとしてしまうほど鉄骨が細く、こいつら耐震性ってものをまるで知らんな、と思ったことだ。ここだけは、技術の洗練という点で、日本の木造軸組み家屋のほうが勝ってる!
10:00 民家のテレビ用VHF八木アンテナの向きが変わり始める。ここまではロンドンのほうを向いていたが、南を向き始めた。ポーツマスの局を狙い始めたらしい。
 ピーターズフィールド駅で小学生と思しき十人ほどの男女が乗ってくる。これがまあ、ぴーちくぱーちくにぎやか。あっという間に列車内はハリーポッター状態。ロンドン文化圏を出て、中間の田舎地帯を抜けて、ポーツマス圏の田舎の子供たちが都会に遊びに出る、という図式らしい。あまりかわいいのでつい子供たちの声を録音した。
 踏切を初めて目撃する。なんというかここでも割り切ってるイギリス人。左側通行の、左側にしか遮断バーがないのだ。
 列車はさらに進み、緑の牧草地で他の生物も見かける。うまそうなガチョウの群れがいる。それに……あの首の長い妙な家畜はなんだ?
「あぅぱーかー!」
 そうだ、あれはアルパカだな。叫んだのは例の小学生たち。彼らにとっても珍しかったらしい。だが、なんでイギリスにアルパカがいるんだ。
 ポーツマスに入る直前に、お墓を目撃した。緑の草地に、六十センチほどのモノリスや十字架が、いくつも並んでいた。石の種類もさまざま。西洋のお墓といえばワシントンの無名戦士の墓みたいなものを想像していたが、そうか、こっちが本道か。別に誰も見ていなかったが、写真を撮るのは控えた。
 ときどき、線路端に三畳ほどのコンクリート小屋があるのを見かけた。誰もおらず、中に椅子しかなく、築30年は立っているように見えた。あれはなんだったのか、保線工夫の休憩所か。
10:35 ポーツマスハーバーに着。
 駅前で衛星即位したら、今度は10mぐらいの誤差で成功した。ロンドンとは別の地図を用意したのだがそれが成功したらしい。でも、ポーツマスの地理は底抜けに簡単なので、余り意味がなかった。
 最初の目的は、湾を渡ったゴスポート市にある王立潜水艦博物館と決めている。運良く、駅を出てすぐ左にゴスポートフェリーの乗り場があった。自販機で2ポンドの往復チケットを購入し、フェリーを待つ。特に時刻表のようなものはなく、一隻でピストン輸送している様子だ。
 来たフェリーに乗り、港の様子を見ていると、すぐに対岸についてしまった。五分もかからない。定員二百人ぐらいの小さな船で、船名はスピリット・オブ・ポーツマス。どういうわけか下水のにおいのする船だった。ちなみに、自転車やバイクが乗船可能だ。
 北の軍港にスキージャンプ甲板を持つ空母が見えたが、船名はわからない。インビンシブルか。
11:00 フェリー乗り場から看板があったので、それに従って南方にある潜水艦博物館へと、レンガ張りの歩道を歩く。3/4マイルの表示が出ていた。歩く道筋、人気がなく電線もない起伏に乏しい干潟の光景を遠望し、木造の橋を渡り(もっともこの橋は1985年製だった)、感慨に浸る。
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 ヨットハーバーがあり、無慮数百隻のヨットやボートが係留してある。索具や金具に風が触れて、ひゅうひゅうチンチンと物悲しい音が上がる。在りし日の軍港かくあらん。いや、昔はマストも船体も木だったからもっと静かだったかも。
11:20分ごろに博物館に到着。
 ここで書き手としての問題が発生。ここまでをロンドン-香港間の機内でPC入力したのだが、香港で乗り換える際に、これまでの行動を記したメモ帳がないことに気づいた。機内か、その後のどこかで紛失したらしい。よって細かいことを補完できない。非常に残念だが、ここから先は記憶に頼って書く。
 博物館の入り口には、モーターを鉄枠で囲んだ、日本のJAMSTECの「かいこう」みたいなものが飾ってある。さてはと見れば、世界最初期のURVの一つ、Cutletと書いてあった。って、これカツレツ?
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 海軍基地の敷地の中を通り、ビジターセンターへ。6ポンド少々を払って、潜水艦内見物ツアーを申し込む。11:50分から、ということなのでスーベニアショップを見てまわる。む、鋳物のおもちゃ型鉛筆削りが1.4ポンド? 安い! と思ってごっそり買い込む。
 英海軍最初の潜水艦、ホランド1型の、沈没後に引き上げられた本物の残骸を見物した後、本日午前のハイライト、HMSアライアンスの見学ツアーに加わる。
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11:50 退役潜水艦乗り、ダン・クリューヴィル氏のガイドにより、艦首魚雷室から乗船する。同行は約20名、うち6.7人は子供、自分以外のすべては白人。ク氏は温厚かつ陽気なサンタを思わせる初老の男性で、巧みな話術で観客をしばしば笑わせる。だが艦に入って最初に質問したことは「皆さんの中に軍人はいますか?(推測)」だった。それに答えてアーミー、エアフォース、などと答えるイギリス人たち。ううむ屈託がない。
 初老の観客が数人おり、うち一人の銀髪の婦人が、夫が潜水艦乗りでした、と語る。しかし1976年に亡くなりました。これがク氏の感興をいたくそそったらしく、その後おりにふれ婦人に話の水を向けていた。ずいぶんドラマチックな展開であり、聞き取れなかったことが痛恨である。
 アライアンス号は海面から突き出したコンクリートブロックの上に固定されており、水には浮いていなし現役艦でもない。艦首にタライ型の巨大なソナーを乗せている。英国にある第二次世界大戦当時の潜水艦のなかで唯一、見学可能なものであるが、長年の展示で傷んでしまったので、2002年より長期保存のための改修プログラムを立案した。2004年からロトくじの財団に出資を依頼しており、2005年6月からの開始を望んでいる、とは表の説明版に書いてあったこと。ああいかん、全長や排水量などのスペックを見忘れた。
 前部魚雷室、発令所、機関室、そして後部魚雷室の各所で立ち止まって解説を受けた。その後、後部側面に後付したハッチから退出するのだが、そこに掲示されていた文句が振るっている。
「Your guide is a Volunteer. Who gives up his free time to help you enjoy your tour of the Submarine. --He also need a drink after work.」
 最後の一行は赤字強調。“ガイドはボランティアで解説をしております。しかし、仕事の後の一杯があってこそ。”みたいな文句かな。
 それを見た観客が笑っておひねりを渡す渡す。チップの習慣のある国だから抵抗がないんだろうなあ。皆に習って50ペンスを渡しておいた。
 潜水艦自体については、えーとその、なんだ、よくわからん。パイプとバルブが無闇やたらと多かったこと、映画の「Uボート」みたいにほんとに狭いのがわかったことぐらいが収穫か。各所の説明文と図は撮影したので、エンジン性能だとか給排気系統図だとかはわかったが、こういうの、ネットでもわかりそうだよなあ。まあ、ロイヤルネービのセンスがわかっただけでよしとするか。
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12:30ごろ 潜水艦の隣のちっさな軽食ショップで昼食を取る。マッシュルームとハムのパイ、ぶどうのスコン、ダイエットコーク。これが安いわりにうまくて感激した。
12:50 付属の潜水艦博物館を見る。浮力やソナーやペリスコープについて、子供向けにわかりやすくアレンジした教材が並ぶ。なんかここでも、日本と微妙に感覚が違う。サーチアンドデストロイを堂々と教えてるんだよな、必須科目みたいに。
 陳列棚の一つに、場違いなものが飾ってある。なんで日本刀があるんだ? それにシュマイザーも! 説明を読むと、潜水艦ゆかりの戦闘でぶんどった鹵獲品であった。日本刀は、キャプテン・スコット・ベルが、仏領インドシナで日本軍将校から譲り受けたとあった。鍔は真鍮張りで笹の葉が彫ってあり、鞘は革張り。日本刀のことはほとんど分からんが、かなり立派なものに見えたぞ。シュマイザーのほうは、イタリアのスクーナーから分捕ったとあった。
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 ほかにも、分捕ったナチの旗だとか分捕ったナチの短剣だとか、潜水艦のジョリーロジャーだとか潜水艦の歯医者用の歯科ドリル(これ、初めて見たんだけど、ミシンみたいで面白い)を見たのち、退出した。
14:00 付属の潜水艦兵器博物館(というか博物倉庫)なども流し見したのち、ポーツマスへの帰路につく。だってまだ、この旅一番の目的であるビクトリー号を見てないからな。
 あ、博物倉庫にはポラリスミサイルの実物がごろんと転がっていた。
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 干潟を見て、木の橋を渡り、フェリーに乗って、ポーツマス駅へ戻った。ビクトリー号はそこからすぐ北だ。
14:50 ビクトリー号の一帯はポーツマス・ヒストリカル・ドックヤードと称され、海軍のレジャーランドになっていた。ビクトリー号、ウォーリア号、その他いくつかの船と、いくつかのショップと博物館が並んでいる。(もちろん建物はレンガレンガレンガだ)
 受付でシングルアトラクションチケット、10.6ポンドを買う。時間的にもシングルでいいだろうと。早速ビクトリー号へ向かう。
15:00 H.M.S.Victoryを見る。レプリカでない、本物の現役の木造戦列艦だ。万が一フランスが攻めてくるようなことがあれば、再びこの船がイギリス海峡に乗り出して迎え撃つのだ! いや、無理だと思うだろうけど、なんか国民性からしてやりそうな気がする。
 船は岸壁に掘られた深い穴の中に、多くの鉄柱によって支えられていた。というか、多分、昔の乾ドックをひとつ、そのまま保存場所として使っている。だから船の高さも、喫水していたころと同じ。
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 たくさんの家族連れとともに中に入る。あれ、自由見学か? 事前に人からもらったレポートでは、案内人とともにツアーで入るとあったが。てことは、写真も撮り放題か? やったあ。
 ロウアー・ガンデッキのガンポートを一つ利用した入り口から、中に入り、順路に沿って隅々まで巡る。順次書き出していくと、
ロウアーガンデッキ(地下三階) →
ミドルガンデッキ(地下二階)→
アッパーガンデッキ(地下一階)→
その階の提督食堂および提督室 →
提督の寝室と、提督の秘書の部屋と、提督のPortable Water Closetすなわち「おまる」

前甲板 →
後甲板 →
後甲板の船長食堂、船長室その他(あ、最上後甲板には行ってないな)→
アッパーガンデッキに戻って地下へ→
オーロップ(地下四階)→
ホールド(地下五階、船倉)→
さらにぐるぐる回って退出。
 つまり一級戦列艦というものは六階建てのビルのような代物で、その中に700人以上の男が乗り込んでバタバタ走り回っていたわけだ。
 往時の熱気も今は消え、68ポンド砲が火を噴くことももはやない。いくつかの要因により、木と垢の匂いの立ち込める古くて狭い空間は、船というよりも建物を巡っているような気分になった。そう、国宝の犬山城だ。あれに似ていた。帆が張ってあり、海に浮いていれば、また別の感想を抱いたかもしれない。
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 ホーンブロワーやオーブリー艦長に思いをはせつつ船を下りると雨で、もう夕方。傘を差して、残り一つぐらいは博物館に入るか、と歩き出す。
16:00 ビクトリー号の西側の、ビクトリー号博物館を見る。名前は博物館だが、規模は資料館程度。入っていくと、主にミニチュアを並べた固定展示の他に、9分間のパノラマがあるという。パノラマとはなんぞや、と他の英人客たちとともに入る。
 最初は簡単な映画。実写とイラストをとりまぜて、19世紀初頭のヨーロッパで猛威を振るった、ナポレオンなる極悪非道な男の脅威と、雄雄しきロイヤルネービーが対決するまでのくだりが語られる。けっこうかっこいい。
 それが済むと奥の扉が開いて、おや、もう移動? と思いつつ足を運ぶと、ぎゃー、蝋人形だ。砲戦時の戦列艦内を再現したジオラマ。砲は鳴る鳴る手足はもげる。もちろんここでも事実に忠実なイギリス魂が発揮されて、肉や骨が見えまくり。
 次の間はネルソン死亡のシーン。ピンスポで照らされたネルソン人形が、なにやらぼそぼそ遺言をとなえながら、讃美歌に包まれてぐったりと……。
 その次はトラファルガー海戦の上空俯瞰で、15センチぐらいのサイズで再現された帆船模型が無慮数十隻、青いプラスチックの海面に並んでいるという寸法。なんでもえらく勇猛な中央突破作戦があったらしく、ビクトリー号は敵戦列のど真ん中で三十分も敵弾を受けまくったとか。かくして大英帝国は悪しき西仏連合国を打ち破り、四海にその威を轟かしたのであった。いやもうご苦労様。
 ここといい、ロンドンのトラファルガー広場の盛大さといい、イギリス人にとってナポレオンに勝ったのは本当に嬉しかったのだなあと実感する。
 ついでに、この資料館の二階には大きなボートが飾ってあって、これがテムズ川上で行われたネルソンの葬儀のためのものだそうだ。それってホーンブロワーが指揮したあの船か。するとフォレスターもこの船を見たのだな。ほほー。
 日本では東郷平八郎がまさにこのポジションにある人だけど……昨今の情勢をかんがみると、にわかファンが出てきたりするのかな。
17:00 みやげ物屋にて家族向けにちょこちょことみやげを買い、ドックヤードを出る。しかしその直前に、例の台座付きブロンズ像を出口近くで見かける。面白いことに足元に犬を従えた人の像だ。名前を確かめてみると、キャプテン・ロバート・ファルコン・スコットとある。南極探検のスコット卿か。知っている人を見つけたのでまた一つ得をした気分。

 ポーツマスを去る前に葉書を投函したい。それにフィッシュンチップスも食いたい。ブリタニアという、看板だけは荘重な、ファーストフードっぽいチップス屋を見つけたのだ。
 いったん駅へ行って(すぐ目の前だ)列車の時間を確認し、ブリタニアに入る。例によって最小の魚アンドチップスをプリーズと頼み、席に着く。
 来ました。魚芋。期待以上にうすらでかいコッドと、期待以上にぐしゃぐしゃ曲がった乱雑なポテト。酢は? あるある、なんか茶色いのがある! 大喜びでばしゃばしゃかけて食べる。腹が減っていたのでけっこう入ったが、それでもポテトは半分までだった。なんとも予想通り。
 店内には他に、両親と6.7歳の少年少女からなる家族連れが来ていたが、彼らも、ごく日常の食事という風情で、このコレステロールの塊みたいな食べ物を食べていた。毎日こんなんだと早死にするよ。
 葉書を書き、駅までの途中のポストに投函し、駅に入る。列車は17:45分のはずだ。
17:45 列車に乗り遅れる_| ̄|○
 ホームに下りていった途端、あっちょっ待っ、と伸ばした手をかすめてウォータールー行きの特急は出て行ってしまった。どういうつもりだイギリス人、時間通りに出すなんておかしいじゃないか。
 仕方なく、別のホームに止まっていた、遠回りの列車に乗って帰途に着く。
20:18 ウォータールー着。ベーカールー線に乗り換え、ピカデリー駅でピカデリー船に乗り換え、何の芸もなく帰って寝ようとしたら、ホテルのカードキーが認証されなかったので、フロントでマイカードイズバッドと何度か交渉し、部屋に戻って寝る。

●10月26日 雨
 今日は帰国日。
 起床して朝食を食べに行ったら、日本人女性がいたので、少々会話する。日本人だと思ったのは、ウェイターに何かを進められたときの断り方。韓国人や中国人とはやはり表情が微妙に違う。
10:00 チェックアウト。5ポンド請求される。昨日の朝食の時のサイン、あれはやっぱり間違いだったらしい。ユーエートクックドブレックファスト、と言われる。いや食ってないよ。しかし、抗弁するのが面倒くさく、金を払ってホテルを出る。ネット代は請求されなかった。
 なんというかこの、聞き取れずに適当にうなずいてしまうとか、ちょっとした誤解を解くのが面倒だとかの理由で、1000円程度の損ならそのまま耐えてしまうことが実に多い。なんとも情けない。今回の旅行では合計1万円近く損したような気がする。ここを改善できねば真の旅人ではないと思う。
 アールズコート駅よりピカデリー線でヒースロー空港へ。
12:00 ヒースローの出国手続きならびにボディチェックにうんざりする。ディズニーランドのアトラクションのように人が並び、順番にチェックを受ける。ベルトを外し、靴まで脱げといわれた。およそ金物はすべてだめ。しかも手に持っていたコークのペットボトルまで取り上げられた。その場で飲めばよかった。
 高級デパート、ハロッズの出店があったので、(おたくでない)親戚などのために紅茶とクッキーを買う。レジのおばちゃんがいかにもぞんざいに品物を扱ったので、プリーズモアソフトリーと言ってやろうとしたが、タイミングを逃していいそびれる。ああもう。
13:30 ゲートからバスで移動し、ジャンボ機に乗る。CX252便 60F席
 今度の席は窓際ではなく、天測は不可能だった。また、左隣がブリティッシュの太ったおじさん、右隣がフィリピンの太ったおじさんだったため、姿勢的には苦しかったが、両隣とも友好的で体臭等もなかったので、総じて楽しい空の旅だった。
 途中睡眠を挟みつつ、夕食と朝食をいただく。行きの旅でもしやと思ったが、今回確信する。キャセイパシフィックの飯はうまい!

●10月27日 晴れ
01:30 香港国際空港到着。ほぼ12時間の乗機だった
 香港時間に変更。
8:00 ジャンボから降り、ボディチェックを通って、トラムに乗り、次のゲートまで移動したところで、旅行中のことをあらかた書いてあるメモ帳を紛失したことに気づく。
 間の悪いことに香港空港のトラムは一方通行になっていて、デパーチャーの人間がアライバルの方向へ戻ることはできない。やむをえず、例の長大通路を一散に走り、ボディチェックへ戻る。
 ドゥユールックメモパッドと聞くと、ミーモォパァッ? と発音を訂正される。そうそうそのミーモーパッ。しかし苦労の甲斐なくボディチェックでは見つからなかった。
 再びトラムに乗って出発ゲートへ。かなり息が切れている。ゲートに着いた時ふと思い立ち、かたわらのキャセイのカウンターで同じ質問をしてみると、日本語アテンダントが出てきた。前の便に忘れ物がなかったか、無線機で丁寧に聞いてくれたが、結局見つからなかった。しかし彼女のサービスには感謝したい。キャセイを好きになる。
9:30 CX530 エアバス330にて離陸。
10:45 中継地の台北に着。雨。
11:50 台北発。
14:20 中部国際空港着。
 JSTに変更
15:30 日本入国。税関でのチェックはあったが、物より態度を見る風だった。
 ロンドンは寒かったですかとの問いに、寒かったと返答。
 そうそう、ロンドンの気温は日本よりだいぶ下回ったが、Tシャツと長袖と綿のジャンパーでぎりぎりしのげる程度だった。ホテルの部屋にも暖房は不要だった。
 しかしあと一週間遅かったら、これ以上の対策が必要だったと思う。

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2006年11月 3日 (金)

大英帝国上陸計画08 二日目の報告

●10月24日 雨
04:00 起床。よく寝たのでHP・SPともに回復した。一人旅の孤独のせいで鬱になるのは慣れている。そういうのは食って寝ると直る。九時間寝たしな。
 昨日の日記を書く。
07:00 朝食。
 宿泊プランに朝食が入っているので、チケットを持ってホテルのレストランへいく。投宿時にもらったチケットには、コンチネンタルブレックファストとクックドブレックファストの二つが書いてあり、前者に丸をつけられた。クックドとはイングリッシュブレックファストのことであろう、それ以外は調理にあらずかなどと思っていたが、実際来てみると、コンチネンタルのほうはほんとに火の通っていないものばかりだった。調理済みなのはゆで卵だけであとはシリアルとパン。まあ別に構わんか。
08:00 食事を終えて部屋に戻った。本日の目的地、大英博物館が開くのが十時なので、もうちょっと日記を書く。
08:30そろそろ出発する。
08:50 昨日のグロウスター・ロードではなく、西側のアールズコートから地下鉄に乗る。
 今回の旅ではハヤカワ青背のチャールズ・ストロス「シンギュラリティ・スカイ」と、760ページもあるダン・シモンズ「イリアム」を持参した。この旅では月面に着陸したアポロ飛行士のような心積もりで、時間を大事にするつもりでいるが、地下鉄の中ではさすがにやることがないので本を読む。
09:20 ホルボーン駅で降りる。そのそばの十字路を挟んだ対角の位置ところに、小さなホムセンを見つける。入ったら日本によく似ていて、めちゃくちゃ和んだ。やっぱ俺、アートやらグルメやらより先に、DIYが好きだなあ。
 そこで奇遇にも英・米変換のできるモジュラージャックアダプタを発見。2.9ポンドで購入した。これでやっとネットできる。ついでにおみやげのおもちゃも買う。
 トムとジェリーに出てくるネズミ捕り器の実物があったので、お土産に買った。6ポンド。(追記・これはダイナコンでプレゼントに進呈したが、ボールペンを叩き折る恐るべき威力があった。ネズミ捕りではなく、殺鼠器というのが正しいようだ)
 店を出てそのまた北隣に24時間のコンビニを発見。昨日の教訓により、昼食用のドリンクとお菓子を買い、他におみやげの駄菓子やら紅茶やらを買う。
09:40 ブルームズベリー・スクエア公園を通り抜けて、大英博物館(以下BM)に到着。
 自然史博物館と違ってすでに開門しており、入場できた。ギリシャ風玄関の手前でバックパッカーらしい白人青年に写真を撮ってくれと頼まれ、承知する。おいおい、正体不明の東洋人にデジカメ預けてそんなに向こうまで行くなよ。どういう画角を指定されたのかわからなかったので四枚撮ってやった。
 BMは簡単に言って「回」の字のような形をしており、内側の四角のところがグレートコートと呼ばれる広大なホールになっている。(「エリザベス女王陛下が2000年にこのグレートホールを、」と壁面に彫ってあった。グレートホールを、の続きは遠くて見えなかった)。そのホールに入ってカウンターを探す。日本語オーディオガイドがあると聞いていたのだ。カウンターを見つけて話しかけると、後数分待て、といわれる。10時丁度になってからということか。パンフレットを見ながらぶらぶら待っていると、呼びかけられ、手続きに入る。
 どっかの研究室でビーカーとフラスコでもいじっているのが似合いそうな、もじゃもじゃ髪で太った爺さんが、懇切丁寧にオーディオの使い方を説明してくれる。スタンダードとデラックスがあるがどっちがいい。デラックスはパルテノン神殿の解説がつくぞと言われたので、じゃあデラックス。いや、この時点でははっきり理解できていなかったが、他の場所ならともかく、大英博物館になら、多少高い金を払っても悔いはないと思ったので、とりあえず高いほうにしておいた。
 オーディオガイドは、早い話がごっついMP3プレイヤー。日本メーカーじゃなかったな。オーディオ用の紙マップに、解説のあるポイントがナンバーつきで書かれているので、その場所へついたらプレイヤーにナンバーを入力すると、一分ほどの日本語解説を聞けるという仕組み。邪魔かと思ったが、案外使えた。
 さて、出発だ! という前に、トイレへ行く。とにかくどこへ行ってもトイレを確認しないと安心できない性質だ。幸いグレートコート中央に真新しいトイレがあったので、用を足した。イギリスのトイレはなんつーか質実剛健で、便器っ、しかない。ウォシュレットやヒーターがないのはもちろんだが、日本ならどこにでもある、うるさいほどある注意書きが、ない。壁真っ白。言わんでもわかるだろう綺麗に使え、ということらしい。
 用を済ませてからまずグレートホール西側の古代エジプトゾーンへ。ロゼッタストーンに迎えられる。天下の大英博物館で天下のロゼッタストーンと対面するのだから、黒山の人だかりで大変だろうと思ったら、なんか五人ぐらいしかいないんですが。写真を撮ろうとしたら前を開けてくれたので、ガラスにへばりつくようにして撮れる始末。あー、この岩の文字ってこんなに小さかったのな。器用な仕事してあるなあなどと思いつつ撮影。
 しかし写真を撮っている人間は日本に比べるとだいぶ少なかった。それより、スケッチしてる学生がちらほらいたな。
 古王国時代の、主に石像を見ていく。どれこれもでかい。解説を読むと五トンとか十トンなんて数字が書いてある。こういうのをだよ、何千キロも離れた異国から、まだ蒸気船もない時代に自国へ持って帰ってくるって、なんか日本と発想が違うよなあ。あー、幕藩時代の大名たちが自由に海外へいけたら、お互い張り合ってそういうこともやったかもな。
 この辺りのコーナーで一番気に入ったのは、どういうわけかエジプトのものではなくて、アッシリアの一対の人面ライオン像。高さ五メートル、重さ三十トン、そのままでは持ち帰れずにやむをえず四分割して持ってきたらしい。都市の門の左右に置かれて部外者を威嚇し魔を祓ったっていうから、阿形吽形の仁王像と一緒だな。いや、そばに立つとまじで気味が悪いの。ここでならともかく、はるかイラクの人里離れた廃墟で、夜更けにカンテラかざして探索しているときにこんなもんに出会ったら、泣く自信がある。
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 おかしなことに、この像のレプリカやおもちゃは、館内のみやげ物店にも外の路上の店にも、一つも売っていなかった。ツタンカーメンやバステト猫はあるのになあ。気味が悪すぎるのかもしれない。
11:00 中近東コーナーの隣がパルテノンコーナーだったので、コーナー入り口のカウンターでレシートを提示して、デラックスコースに含まれる日本語解説オーディオを借りようとした、ら、すでに持っているオーディオに係員が何やらパスワードを入れることでパルテノンモードに切り替わった。なるほどね。
 パルテノン神殿は都市国家アテネの力の象徴だったが、17世紀にオスマントルコ軍がここに立てこもった際、ベネチア人が砲撃して神殿ごと吹き飛ばしてしまったという、嘆かわしい解説を聞く。でもまあ欠片が残っただけいいよな。うちの国でその手の戦争被害が起きると、木造だもんだからあらかた燃えちゃって土台石しか残らん。
 このパルテノンコーナーは、アテネから持ってきた残骸を虫眼鏡で眺め回して、詳細に解釈しようという趣向。しかし残念ながらあまり興味をもてなかった。どっちかというとギリシャよりローマ帝国のほうが好みなのだ。で、カウンターで再度ジェネラルエクスプラネーションに戻してもらって、そこを出た。
 再びギリシャ、エジプトコーナーを通って西階段へ向かう。やはり石像のオンパレード。ほんと、石像文明の連中がうらやましい。うちの先祖も何かでっかい石像を作っといてくれればよかったのに……。ミイラの匂いがするかと思って、順路に真ん中においてあるネクタネボク2世なるエジプト王の石棺を嗅いでみる。が、観光客の手垢の匂いがしただけだった。
 まわり中、家族連れだらけ。人種さまざま。人種博物館でもあるな。
 二階へ上がり、南へ針路を取る。お、ローマコーナーだ。見たかったぞ。
 白状すると塩野七生を読んで以来のにわかローマファンなんだけど、ヨーロッパ人がこぞって正当後継者を自称したがるという古代帝国だから、まあいいよなファンでも。まずは入り口の初代皇帝アウグゥストゥス像に参拝つかまつりまして、おもむろに足を踏み入れる。
 記録したがりのローマ人の性癖と、集めたがりのイギリス人の性格が一致したのかなんなのか、うんざりするほどたくさんの遺物があって、やー、満足。壷やら像やらはふんふん適当にうなずいてみるだけだが、コンパスと曲尺があったのには思わずガラスに張り付いた。二千年後の東洋人が見ても一目でわかる製図道具ですよ。あああ、そんなご先祖のいる西洋人がうらやましい。
 もっとすごいのは三世紀の青銅製のシーソー式水道ポンプ。これ、今の水道でも使われているエルボーとフランジ構造を、もう備えている。そのままホテルに持ってって取り付けても違和感がないぐらい。そのころの我々は、鬼道を能くする卑弥呼の下で掘っ立て小屋に住んでたんですが……。
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 ギリシャ遺物もちょこちょこ混ざっており、2500年前のボタンだとか、2800年前の安全ピンだとかの女の子装備を見ているうちに、体力が尽きていったん撤収。
12:30 クロークから荷物を取り戻して、正門前のベンチでアップルパイとスナックとコークの昼食を取る。これ、後で気づいたが、グレートコートの北西・北東隅にお弁当コーナーがあるんだよね。そっちで食べればよかった。入場無料だから外へ出てもいいんだけど。
 食べ終わったら、もう一度クロークにデイパックを預けて、戦線復帰。クロークは荷物一個に付き一ポンド。
13:00 ローマコーナーでたこ焼き器を発見する。本当に、すべての大阪家庭ならびに大阪人の住む家庭に完備してあるという、あのたこ焼き器だとしか思えない青銅製の代物があったのだ。解説は「パン焼き器」だが、あれは絶対間違ってるね。
 それから、隣にある貨幣の歴史の部屋に移る。世界中のあらゆる貨幣が展示してある。不覚にも天正長大判が世界最大の金貨だと思っていたけど、なんかここには手の平ぐらいある巨大で分厚い金貨があったぞ。いかん、解説は見忘れた。
 硬貨の作り方が解説してある。打刻法は知っていたけど、打ち金の細かい紋様を彫る方法は初めて知った。あれはまず、顔面ぐらいの大きさの原版をゴムで彫るのである。それからニッケルや銅などを鋳込んで金属版を造る。その後が肝で、ミシンと鍵屋の鍵コピー機とコンパスをあわせたような機械でもって、縮小原版を切削するのである。ってこんな説明じゃどんな機械かさっぱりわからんな。別な言い方をすると、一端が固定された腕木に、読み取り刃と彫りつけ刃を装着し、大小二枚の原版に同時に当て、相似の原理を応用して大原版の起伏を小原版に移し変える装置とでも申さばよいか。まあそんなのだ。今のシリコン基盤なんかだと光学でやっちゃうけど、ある程度までなら機械的にできるということだ。
14:00 いったんグレートコートのトイレへ行き、ついでにコート中央の図書館を覗く。「回の」の字の内側の四角(実物は円だが)の中。円形のホールの壁全面が本棚になっているあそこだ。すごいっちゃすごいけど、まあ大英図書館はすでに分離されてよそへ移されているので、ここにあるのはおまけ程度のものなんだろうな。
 ところでその壁面書架だけど、ぐるりと見回しても階段がない。どうやって登るんだろうと見回していたら……なんか、「本の中から取っ手が生えている」という奇怪な箇所を見つけたぞ? きっとその本棚の奥に隠し階段があるのだろう。
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 また二階へ上がり、東南角の古期ヨーロッパコーナーへ。しっかし全然終わらんなあ。
 この辺り一体はローマ以降のヨーロッパの遺物が展示されている。入ってすぐのところの、「六世紀ごろのカンタベリーの再現図」に、少々粛然となる。中央に半壊したコロセウム、はるかかなたに街を囲む城壁の名残。そういった、崩壊した巨大なローマ建築のあちこちに寄生するようにして、粗末な小屋を建てて住んでいる人々の図だ。嗚呼中世、暗黒時代。帝国の栄華は今いずこ。エイジオブエンパイアーの風景だなあ。
 とはいえその後ヨーロッパ人は、ろくでもない封建制の時代に長く耐えた後、再び大繁栄を取り戻すわけで、その頃の遺物が博物館のこの辺には集積されている。わかりやすくいうと「金銀財宝の山」がある。物語に出てくる、海賊や竜や暴君の宝物庫を想像してもらいたい。なんか金貨の中から王冠や宝剣が突き出ているあの図。あれが解説つきで大量に並んでいるのがこの辺り。
 コインにメダルから始まって、リング、ネックレス、イヤリング、カメオ、ブローチ、壷、皿、胸像、イコン、水差し、王錫、宝冠、金器、銀器、磁器、クリスタルなどなど、キラキラしたものが目もくらまんばかりに並んでいる。王族、貴族、王室ゆかりのものも山ほど。
 皆さん、もし将来強盗する必要が生じたら、ちまちまと近所の銀行など襲わず、大英博物館のルーム47近辺に押し入りましょう。棚ひとつ奪っただけで末代まで遊んで暮らせるから。
 呪われなければ、だけどな。
 あ、少し手前のあたりだけど、「サットン・フーの王の墓」も面白かった。七世紀初期に埋葬されたと思われるイングランド人の王とその遺物。暗黒時代にも高い文化があったんだよ! ということでイギリス人お気に入りらしい。
 先へ進んで時計の部屋へ。三メートルはあろうかという特大のグランドファーザークロック、いわゆる大きなのっぽの古時計が並んで出迎えてくれた。1695年製などの相当な古物だが、なんと全部生きている。動いていて、時刻が合っている。ええ加減にしなさいと言いたいほどの物持ちのよさ。以前、神田の交通博物館で腐りかけのふるーい時計を見たときはもちろん死んでいたが、こっちは平然と生きている……。
 恐らく脱進器が発明されたころの、さびの塊みたいな鉄骨製の時計、というよりは時刻推測器といったほうが相応しいような原始的なからくりから、彫刻ぴかぴかの芸術品まで、これもすごい数の時計を見物する。
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 えーその後は、くそ、書くほうも疲れる、この文章は博物館にいった日の二日後に書いているのだが、なかなか現在に追いつかん、またグレートコートに降りてから、北の端の日本コーナーへ。途中、東側二階にあるローマンイギリスのコーナーを見たかったが、2007年まで改修中ということでは入れなかったのだ。
3:45 北の端の最上階にある日本コーナーに行く。しかしどうも、しょぼい。日本刀と鎧と壷と掛け軸があるぐらい。アイヌの衣装や琉球のお面があるのはちょっと面白かったが、なんか量的に、それが日本のメインストリームだったように思われていそうで心配。つうか朝鮮通信使の絵巻を大きく飾ってあるのはどうかと思った。それと参勤交代図の違いなんか、外人にはわからないだろうしなあ。
 原爆が! 原爆の扱いが小さいよ! 広島の地図と文章の説明パネルが一枚あるだけ。イーギーリースーめー。何も原爆展をやれとは言わん。ここは文化施設だし、文化と原爆は関係ないから。しかし、奇宝珍品を集めるのはここのそもそもの目的だろう。核兵器で溶けた瓶とか死体とか、ほらそれに人間の影が焼きついた橋の欄干なんてものは、古今東西どこにもないぞ。十分珍しいじゃないか。持ってきて得々と飾るのがおまえらの趣味じゃないのか?
 などと思いつつコーナーを巡ると、あ、ガンダム。
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 最近話題の「大英博物館のガンダム」は、関口猪一郎という人の書いた、絵のガンダムでした。何種のガンダムなのか、俺は詳しくないので知らない。しかし説明文の最下行に「Ink and colour on paper」と書かれていたのには、なんだか激しく脱力した。これはたとえば、御影石のファラオ像の下にRed graniteと書かれているのと、同じ欄に当たるのだろうけど、インクとカラーペンってわざわざ書かなくても……。ガンプラを飾るのが嫌だったのかなあ。
 あとはアトムとみずきしげるの戦争物と、なぜかこうの史代の少女漫画。なんだけど、これが原爆漫画「夕凪の街」。説明文にも原子爆弾で死ぬ少女の話だと書いてあるが、開かれている漫画のページ自体にはそれを思わせる描写はない。
 なんか、日本コーナーを開くに当たってのいろんな確執を感じさせる展示だわ。単なる少女漫画の紹介がしたいなら、ここは萩尾望都やら山岸涼(点二つのリョウが出ない)子を置くのが相応しいだろうに。日出処の天子なんかぜひ置いてほしい。しかしそれを避けて、原爆。こうの史代氏には失礼だけど、広島コーナーで排除された被爆メッセージを、他の方法で訴えんがために、日本人の担当者がこの漫画を選んだのではないか、というような邪推をしてしまった。いや、それならそれで涙ぐましい努力だとは思うけど……。
 それを言うならば、日本コーナー自体が質量に欠ける~。この隣にアッシリアの人面ライオンがあったら、あからさまに位負けしちゃうよ! もっとこう、例の金剛力士像とか風神雷神図みたいな豪快なものも持ってきてほしい。金のシャチホコでもいい。一応国宝の仏像はあったんだけど、一点だけ、それも百済観音なんていう、ひょろっこい冴えない像だったのが悲しい。なんぼ飛鳥時代のものだといっても、ここには三千年、四千年前のものがうなるほどあるからなあ。
 大英博物館にはイギリス人だけじゃなく、ほんとに世界中の人間が来ている。彼らに、なんだこんなもんかと思われないように、とにかくもっと量がほしかった。
4:10 すぐ下のコリアコーナーに降りる。韓国は壷が多くてあまりぱっとしなかった。日本と韓国、なんかこの博物館ではちょっと情けないね……。
 おまけとして廊下に北朝鮮のポスターが数枚。労働翼賛ポスターばかりで笑った。こんなのが未来永劫飾られるとしたら、それはそれで恥だな。
4:30 閉館迫る。5時半がその時間なのだが、まだ見ていない部屋がたくさんある。中国、アメリカ、アフリカ、アジア一帯、それにディー博士の魔術道具。大航海時代オンラインでロンドンの奇人として人々に知られる、あの愉快なジョン・ディー博士の遺物があるというのに、もう時間がない。
 駆け足モードに入り、二階北側のエジプトのミイラを見て、初期メソポタミア文明の展示を見て、一階に降り、南北アメリカの展示を見る。最後に見たのはヒスイ製の石仮面だった。
 ミイラの棺桶の裏側ってあまり見ることがないが、こんな感じだ。このアスファルト状の流動物が、おそらく棺から染み出した死体の成れの果て……。

4:50 土産物を買いに。だがたいしたものはなく、絵葉書を買ったのみ。それも出さずに終わった。
5:20 BMを出る。どこかいい食事どころを求めて、朝降りたホルボーン駅ではなく、ピカデリー・サーカス方面へと歩く。そちらはソーホーと呼ばれ、レストランが犇いている由。
 目当ては牛だ。とにかく肉が食いたかった。高価なステーキハウスを敬遠しつつ肉レストランを探索していくと、おや、8.6ポンドのローストビーフがある。そのスコッチステーキハウスに入る。
 しかし、渡されたメニューには8.6ポンドは載っていない仕方ないので、ザモーストスモーゥローストビーフアンドビアプリーズと頼むと、ほぼ狙い通りの代物が出てきた。
 これがけっこううまく、量的にも限界ぎりぎりでなんとか胃の腑に収まり、満足して店を出る。トータル13.64ポンド。これはサービス費込みだな。
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 地下鉄でグロウスターロード駅まで帰ったが、やや物足りないのでもう一本ビールを買おうとスーパーに入った。しかしすべての缶ビールが四本以上のセットでしか売っていない。一個ばらけていたのがあったのでそれを持ってレジに行ったら、バラはだめだとおばちゃんににらまれる。やむなくあきらめる。
 ホテルに戻り、寝る前に、ホルボーンで買った電話アダプターを試す。ニフティ経由でネットにつなぐことに成功する。しかしどうにも疲れていたので、ミクシィにちょっと書き込みしただけで、メールチェックもせずに寝る。

09年10月30日追記:
大英博物館日本室に、こうの史代氏の漫画作品が展示されていたことについて、もっとふさわしい本があるのではないかと発言しましたが、三年を経て考えが変わりました。これは有益な発言でも、面白い発言でもないと思うようになったので、撤回します。

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2006年11月 1日 (水)

大英帝国上陸計画07 初日の報告

0610イギリス旅行記 1ポンド=230円。

10月22日 日本出発、香港経由でロンドンへ
10月23日 午前五時にロンドン着 イギリス自然史博物館
10月24日 大英博物館
10月25日 ロンドンの南西100Kmにあるポーツマスへ
10月26日 昼前に帰国便に搭乗
10月27日 午後、日本着

●10月22日 日曜 晴れ 暖かい
13:02 名鉄特急
13:37 中部国際空港着 850+300
13:50 フードコートでチャーシュー麺 750円
14:40 出国 免税店では300円の煙草が200円だった。
 ボディチェックはなし。早かったので、荷物検査も簡単に済んだ。
 パスポートコントロール。
 モデムセイバー購入3580円。無税。
15:55 搭乗 キャセイパシフィックCX535 エアバス340-300
 席は後ろ右58K 隣人おらず快適
16:35 離陸 高度1000-3000は雲。上空は明るく、夕日のパノラマ。
17:00 ビールとナッツ。カールスバーグ。
17:10 室戸沖で高度12500、速度700Km/h。Mio活躍。
17:30 夕食。チキンのソース煮とライス、ブロッコリー添え。りんごサラダうまし。
18:00 映画は宇宙戦争のパロディをやっている。
20:20 香港国際空港着。夜、霧。28度、蒸し暑い。
香港時間に切り替え。
19:45 トラムに乗る。
 香港空港には異様に長い通路があり(一キロ以上か?)、端から端への移動にトラムを使う。
 タイヤ駆動、架線は側方。新交通システムみたいな感じ。
 WエリアからEエリアに入るところで、赤外線センサーを用いたリアルタイム体温チェックをやっている。熱病対策。検疫。
 どうもそこがデパーチャーエリアの出口を兼ねていたらしく、搭乗ゲートに行こうとしたらもう一度持ち物検査をされた。
20:30 パンフレット立があったので拾ってみたら、80HKドルで入れるシャワーがある。出発前にネットで見た覚えがある。快適らしい。行ってみたい。
 考えつつ、あちこちに立っているカード端末でインターネットをしようとしたら、クレジットカードが通らん。expiredだと表示される。期限切れだと? 念のため他の端末を二つ試したが、全部に突っ返された。非常にまずい。現金を五万円相当のポンドでしか持って来ていないので、カードが使えんとなると結構切り詰めなければならない。こんなところでシャワーなんぞ入っている場合ではない。
 シャワーは例の長大通路を一度戻ったところにある。一応ムービングウォークを通ってそこまで行ってみる。しかしそこは白人男女の集うセレブな雰囲気のラウンジ。専用のカードを提示せよとある。気後れする。
 しかし当たって砕けろの精神で、きゃないゆーずしゃわーるーむと聞いてみると、Only shawer? Go back and turnleft, stearupなんたらかんたらと丁重に言われる。シャワーは別の場所で、使用可能らしい。指示通りというか、山勘でエスカレーターを上ると、それらしい場所があった。入れたし、カードを提示するとちゃんと使えた。あの機械め、何がエクスパイアドか。
21:34 シャワーは大理石張りの個室。ボディソープとバスタオルがつき、湯量も湯温も十分。しかも他に人がいない。これだけの大空港でトランジットの客も誰も風呂には入りにこないとは何事か。日本円換算で1200円、やや高いが快適だった。
22:00 ゲートに戻る途中、長大通路(結局そこを一往復半した)の中ほどでワイアレスLANのホットスポットを見つける。ノーパソはあるが、あいにくLANカードがトランクの中だ。あきらめる。
22:30 ゲート近くの六階で夜食。中華風肉入りちまきと香港ミルクティーを頼む。48HKドル、650円ぐらい。見た目はシンプルなもっちりちまきでおいしそう。
 しかしこれが、食べ始めると中華っぽい薬草系の風味と餅のような重さで、恐ろしく胃に堪えて、たちまち箸が止まる。口直しにミルクティーを呑むと、これもなんかこう、お茶分が妙に重い。えぐい。結局どちらも3/4食べて残した。
23:00 1番ゲートに移動し、23:55発ヒースロー行きのCPX251便を待つ。
 出稼ぎ便なのか色黒のアジア人がけっこういる。観光らしい韓国人おっさん団体がべらべらにだにだしゃべっている。白人は1/3ぐらい。
23:30 CPX251 B747-400 59K席

●10月23日 曇りのち雨
4:25 第一回天測 46 45 59 91/97 16 44 71 9350m
5:40 第二回天測 53 56 00 63/ 86 31 04 68 9127m 恐らくノボシビルスク
10:24 第三回天測 59 04 22 58/ 26 11 04 86
 街の明かりはいつもロウソクのようなオレンジに見える。夕日が赤くなるのと同じ原理ではないか。
 着陸前に朝食が出た。以後しばらくの間で一番うまい食事だった。
10:23 GMT6:01 到着
 以後、GMTで表記。
6:30 入国 EUからの入国は入国審査必要なしだった。
 パスポートコントロールでの質問は、「一人か」「目的は」「何日滞在する」「帰国便はあるか」「初めてか」など。
8:00 ヒースローから地下鉄(チューブ)に乗る。ロンドンの地下鉄はゾーン制である、というのはどこのガイドブックにも書いてあるが、そのゾーンというのがどういう範囲なのか、来るまでよくわからなかった。来てみるとマップがあり、ロンドン中心部から同心円状に1から6までの領域が設定されている。具体的にはその地図を見なければわからない仕組みだった。三日有効のトラベルパスを買おうとしたが、よくわからない言葉で言い返され、ドゥユーアンダスタンとまで言われる。いや、アンダスタンではない。仕方ないので引き下がり、自販機で片道チケットを買う。
 乗る。車両はかまぼこ型で日本の鉄道より断面が小さい。多分これは、トンネル掘削の労力を省くためにそうしたのだと思う。(車両とトンネル側面も天面も本当にすれすれなのだ)。架線がないのもそれっぽい。架線がなければトンネル断面を減らせるから。
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写真1 走るカマボコ、ロンドンの地下鉄

 車両には馬鹿でかいアングロサクソンの兄ちゃんなどが身を縮めて乗ってくる。狭そう。しかし人種はさまざまで、白人、黒人、フィリピン系らしい茶色いの、中国人ぽい黒髪、ラテンぽい巻き毛など、各種取り揃えている。いちばん体臭が印象的なのは白人かな。わりといい匂いの人が多い。いや、香料なのかこれは。
 発車アナウンスはない。いや、アナウンス自体はたまにあるが、何を言っているのかわからない。ゴトゴト揺れながら低速で走る。サスペンションが悪いらしい。鉄道先進国のくせに、ずいぶんやぼったい電車だ。
 グロウスター駅の二つ手前のバロンズコート駅で降りる。歩きたかったから。ここまで暗かったがようやく明るくなってきて、線路の両側のレンガ造りで煙突のある家々が見えてきた。おわー、ロンドンだ。
 駅の外で揚げベーコンパンとミルクを買う。
 ところが目的地が思ったよりも遠く、一時間以上も歩く羽目になった。おまけに揚げベーコンパンは手に油が染みてべたべたになった。
 国道A4号沿いにひたすら東へ。二階建てのバスが追い越していく。
 ここまで、Mioにインスコしてきたロンドンマップ(手製)を照合させようとしたが、成功しなかった。座標値の設定がよくなかったのかもしれない。以後、ナビの使用はあきらめる。
9:00 ホテル着。グロウスター駅の近くにある、アンバサダー・アールズコートホテル。周り中ファサードのある建物ばかりなのに、一軒だけずんべらぼうな装飾のない造りだったので、すぐにわかった。バゲジルームにトランクを預ける。
 最初の目的は、ホテルの近くの自然史博物館。徒歩で向かう。10分ほどで着く。
 しかし、開館が十時だったので、それまで近くのサウスケンジントン駅に行って、レモンティーと目玉焼きパンのブランチをとる。また、この国は駅にトイレがないので、ついでにここで使わせてもらう。
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写真2 自然史博物館前駅に並ぶリアトランクの群れ

10:00 博物館入場。博物館にはトイレがあった。
11:15 恐竜、海竜、昆虫、エコのところを見ただけでくたくたになる。
 恐竜コーナーはアロサウルスだのイグアノドンだのの骨がある。あまり恐竜萌えするたちではないので適当に流したが、パラサウロロフスの、例の後退角の付いた角の生えた頭蓋骨がデンと置いてあったのは、思わず感嘆する。頭だけで大型犬ぐらいあったな。
 ティラノサウルス・レックスは、一番奥に個室というか独り占めのコーナーがあって、さんざんパネルでもったいをつけてから見せられるのだが、なんとハリボテ、しかも分解修理中だった。興醒めなことはなはだしい。
 メアリー・アニングの見つけた海竜の化石の前で、通行人に写真を撮ってもらう。11歳でドーバーの崖に海竜化石を見つけたこの女の子のことを、初めて知ったのは小学校のときに読んだ学研漫画でだったか。犬を連れてボンネットをかぶった肖像画の実物に対面した。これで本日の予定イベントを一つ達成。
 昆虫コーナーは収集品の展示というよりは、子供向けの教材コーナーみたいになっていた。やたらとグロテスクなミールだのワーム類だのがうようよ飾られている。30センチもあるムカデを白人家族がオーオー言いながら見ている。日本のこの手の博物館のようにむやみにマスコットキャラクター化せず、とにかく写実的に展示してある。模型も絵も無駄にリアル。
12:30 石とミネラルと地球のコーナーを見てきて、もう死にそう。スーベニアショップでダイエットペプシを買うが、500ml一本1.5£、すなわち330円!
 レストラン周りには家族連れがあふれ、床や階段でみんな食べている。その片隅でペプシを飲み、ポテチを食べた。白人の子供たちがまた、めちゃくちゃかわいい。どれもこれも妖精のようだ。うちの子らをつれてきたらどんな行動をとるだろう、と考える。五歳の下の子が、最近女の子と見れば口説こうとするのだ。
 しばらく座っていると体力が回復したので、また出る。
13:30 本館鉱石コーナーは2列42棚で70メートルあった。
 南入り口の直上の二階通路で、むやみと落書きされた壁板を発見。日本語がなかったのにほっとする。
 哺乳類と魚類も見る。ブルーホエールすなわちシロナガスクジラがでかい。というかムースもクマもみんなでかい。
 みやげ物を買う。帰ったらすぐDAINACONがあることだし、何か気の利いたものをと思ったが、案外普通のおみやげばかりだった。妙な虫のマグネットとトランプなどを買う。
 チェックインしにホテルに戻る。
14:30 スーパーで買い物。
 歯磨き粉、パン二種、エビアン二本、カップヌードルなど。肉は安いのかも知らんが、一人で買えるような分量ではあまり安くはない。
 というか、ポンドが強い! 同種の商品の中で最も安い部類のものでさえ、日本円換算してみると日本の1.2倍から1.5倍ぐらいする。明白に円安の被害をこうむっている。しっかりしてくれよ日本経済。
 そうそうそれに、こっちでは日本車をほとんど見ない! 当たり前といっちゃ当たり前だけど、悔しいぞ。もっとイギリスで売れ。そして円を上げろ。
 あと、オートバイでは比較的日本車を見るが、ヨーロッパ勢も多い。体感的には五分五分ぐらいか。そしていかにも格好に構わないイギリス風に、リアボックスをつけている車体がかなり多い。GIVIなんかのプラスチックのやつね。
15:00 ホテルにチェックイン。往復の航空券とセットで三泊なので、一泊いくらかはわからない。部屋に入ると、シングルベッドの他にクロゼット、テレビ、デスク、電話と、トイレつきシャワールームあり。ただしバスはなし。テーブルやソファーもなし。壁が薄くて両隣の会話が余裕で聞こえる。感覚的には日本の5000円ぐらいのビジネスホテルと一緒か、それより落ちるかも。だがこっちでは一万円以上すると思われる。
 電話のモジュラージャックは六芯の英国式で、持参のは使えない。
 入室してすぐシャワーを浴びたら、大変億劫で出たくなくなった。が、高い金払って15時間もジャンボに乗って来たのだから、だらだら寝たり本を読んでいるのは許されない。無理をしてでも出ることにする。
17:00 グロウスター・ロード駅からピカデリー線に乗り、ピカデリー・サーカスで下車。萩尾望都の漫画を思い出しつつ、方位磁石を見ながら南下。小雨がぱらつくので傘を広げる。テムズ川を見て、適当にうろついて、パブでメシ食って帰ってくるというのが目標。
 女神と兵士たち(いわゆる赤ザリガニたち、つまり英国陸軍兵)の、台座に乗ったブロンズ像を見つける。説明を読むと、クリミア戦争記念碑であった。
 その辺りから、台座つきブロンズ像の姿をやたら見るようになる。たいていは国に貢献のあった軍人やら政治家。南方に、むやみと高い塔に乗っかった像が見えたので、てっきりネルソン像だろうと思いながら、あたりの小物を見物していく。エドワード七世やら、極地探検に出たフランクリンやら。極地探検のフランクリン? ベンジャミンのほうじゃないのか? そう思って持参の電子辞書で調べてみると、北極へ行って全滅した方のフランクリンだった。南無南無。
 南方の像の足元へ着いて、愕然とする。フレデリック・デューク・ヨーク、ヨーク公爵フレデリックとある。あれえ、ネルソンってこんな称号だったか? あわてて地図を見ると、場所が違った。ネルソンのいるトラファルガー広場は一本向こうの通りだったよ!
 向きを変えて東へ。何やらローマンアーチを連ねた白亜の凱旋門が見えてくる。ビクトリア女王の戦勝を記念した(つまりネルソンに勝たせた)アドミラルティ・アーチだった。
(あとで気づいたのだが、この時西を向けばバッキンガム宮殿が見えたはずだった。写真撮影どころか目視すらし忘れた)
 このへん、ローマ帝国時代を髣髴とさせるものがぱらぱらとあって面白い。このアーチやら、エドワード七世に彫られたラテン語のレックス・インペラトールの文字やら。ああ、それに市内のどこでも見かけるアパートの玄関は、たいていローマンアーチのファサードになってるし。イギリス人のローマ帝国好きが出ている。ロンドンの名所はギリシャ式かローマ式かゴシック式、と。うむうむ。
 そうそう、海軍アーチの手前ではジェームズ・クック提督の像を見つけたよ! これがいちばん嬉しかったな。シャクルトン像もあれば言うことないんだが。
 トラファルガー広場に入ってネルソンを望見。この時はまだ明るかった。
 それからテムズ川へ向かうつもり、でさらに南下してしまう。この辺りはブロンズ像だらけ。生憎この時はガイドブックを持ってきていなかったので、ホースガーズだのダウニング街10番(首相官邸だ)だのビッグベンだの、そこらに山ほど名所があるのをほとんど見逃してしまった。旧海軍省だけは、道沿いの小さな銘盤で気づいたけどさ。
 また道を間違えていることに気づいて、東へ変針、グルカ兵の像をみつける。もうなんか、こいつら戦勝国だと思って飾りたい放題だな。戦争やってごめんなさい、ってニュアンスはどこにもカケラもない。国のために散華してくれてありがとう! 僕らは君たちの事を忘れないよ! ちゃんとこうして花輪も飾るよ!(そしてこれからもこの調子で行くよ!)みたいなことを、みんなで盛り上げている風情だ。
 右手のビルになんとなく軍隊っぽいものを感じつつ、そこの中庭の像に引かれてふらふら入って行くと、なんと芝生に十センチぐらいのキノコがざわざわ生えている。うわー、異国だ。こんな植生日本で見たことねえ! 誰か採らないのかよ。
 採らないのも道理で、後で地図を見ると、そこは国防省の庭だった。俺、国防省ビルをばしゃばしゃ撮ってたけど、よく捕まらなかったな。
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写真3 英国国防省が秘密栽培する戦略的キノコ

 ようやくテムズ川を拝む。
 テムズ川は茶色だった。あまり海の香りもしない。ロンドンの新名所である観覧車、ロンドン・アイを正面に拝む。
 近くに船がもやってあり、船上バーとなっている。PSタターシャルキャッスル号という船で、説明を読むと、どうやら戦争で活躍した輸送船のようだ(またかよ)。
 このキャッスル号で晩餐をとることに決定。
 理由:パスタがあったから。
 出発前ミクシィで、「イギリスのパスタはまずい、連中はアルデンテがわからないから」という忠告を得て、ぜひ確認せねばならんと思っていたのだ。乗船して、例によってへどもど英語でパスタとビールを注文し、窓際の席について待つ。
 来た。……のだが、これ、違うぞ。麺じゃねえじゃん。いわゆるスパゲッティじゃないほうの、ギョーザ状のパスタがきやがった。これではアルデンテを確認するもくそもない。
 仕方なく、そのまま食べる。
 この時、船内に客は六分の入りで、雰囲気はとてもよかったのだが、いかんせんこっちの気分が最悪だった。まず疲労。ずっとまともな会話をしていないという気詰まり。言葉のハンデ。「クレジットカード」を聞き分けられず、「エールをくれ」が通じなかったのはさすがに堪えた。ビアプリーズでしのいだが。おまけにパスタとビール合わせて10.5£、2200円。2200円払って油っこいほうれん草サラミパスタを食っているってのは、なんだかなあ。昼間にエネルギー補給のためにいろいろ細かいものを食べたので、ろくに胃に入らない。つうかもともと少食だ。そして食に貪欲でない。
 ロンドンアイを眺めて、剛構造でないことに気づいたりする。自転車の車輪と同じ、スポークホイールなのだ。テンションで円形を保っている。えらいもん造ったな。
 結局、パスタもビールも食いきれずに店を出た。大食らいになりたい気分。
 トラファルガー広場へ戻る。ここまで何本も道路を横切っているが、イギリスの歩行者は信号を守らないのが作法である。車の来ないときにさっと渡る。しかしよくしたもので、大きな道路にはたいてい中央分離帯があるから、危ないときはそこで立ち止まって待つのである。そうやって歩いていく。
 飯を食っている間に日が暮れたので、ネルソン提督はもはやよく見えなかった。トラファルガー広場からはピカデリーサーカスの駅よりレスター・スクエアのほうが近いように見えたので、そちらへ行く。しかし駅が見つからない。ええいままよとまたもや方位磁針を取り出し、西へ行けばピカデリーの駅へ戻れるだろう、と歩く。
 すごい人手。この間行った池袋に匹敵するぐらい。傘を差したり閉じたりしながら、マックを覗いたり土産物屋を覗いたりしながらピカデリーの駅に到着。ピカデリーへ来る前に、16ポンド払って三日有効の切符を買ってあるが、これも高いな。三千五百円だ。まあ、初乗り660円なのでもともと高いんだが。出勤退勤時を含むピークタイムチケットを買ったらそうなった。
19:00、帰って疲れ果てて寝る。

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