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2006年11月 4日 (土)

大英帝国上陸計画09 三日目の報告

●10月25日 曇りのち雨
06:00 起床して昨日の日記を書くが、ほとんど進まず。
07:15 ホテルのレストランに食事に行ったら、受付でやや煩雑なやりとりがあり、紙にサインするよう求められる。料金は払ってあると言ってみたが、とにかくサインしろという。めんどくさいのでする。
07:40 出発。今日の目標はポーツマス港で王立潜水艦博物館とビクトリー号を見ること。
 ピカデリー線でピカデリーサーカスまでいき、ベーカールー線に乗り換えてウォータールー国際駅を目指す。ルーってなんだろうと思ったので調べてみたら、ルーそのものには意味はないらしい。ワーテルローの戦いの英語読みがウォータールーであり、ウォータールー駅はそれを記念して名づけられた駅であり、そのウォータールーとベイカー街を結ぶから、両家取りしてベイカー・ルーらしい。
 こういう薀蓄調査用・兼・英語辞書として、SIIの電子辞書SR-E8000を帯同したら、旅の間を通じてめちゃくちゃ役に立った。
8:30 ウォータールー駅到着。地下鉄から、日本のJRにあたるBRの駅へ出る。コンコースは簡単に言うと櫛型。主通路に直角に多くの路線が発するターミナル駅。線路の反対側には店が多数。やや違うが、名古屋の金山総合駅を二倍の大きさにした感じ。
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 コンコースのあちこちにでっかいディスプレイがあり、出発便が表示されているので、目的地を探すのは簡単。ポーツマス・ハーバーランド行きが9番ホームから8:30分に出る由である。何、八時半? もう時間じゃないか。
 しかしそこで、イギリスの鉄道は決して時間通りに出ないという俗言を思い出す。嘘かまことか確かめることにし、悠然と切符を買いにいく。
 クレカを使う切符自販機の操作ははっきり言ってよくわからなかった。アダルト、シングル、ラウンド(往復)を選び、アルファベット頭だしで目的地を選び、ルートをエニーパーミテッドにする。経由駅自由ということだろう。カードを刺したら一瞬で戻ってきたので、突っ返されたのかと思ったぐらい。しかし切符は発行され、往復通じて問題なく使えた。往復23.3ポンド。邦貨換算で5100円。ポーツマスまでは百キロ以上あるので、まあこんなもんか、と。
 9番ホームに入ると、思ったとおりまだ列車が待っていた。ドアが目の前で閉まったのでちょっとあわてたが、中の職員がボタンを押して開けてくれた。ブリティッシュ・レイルの車両はドアがマニュアル操作。一等車ではない車両に乗り込み、適当な席に座る。客は8分の入り。
 8時46分に出発した。
9:00 BRの地上車は地下鉄と比べて非常に快適だった。モダン、大きい、揺れない、きれい。この辺が鉄道先進国なのかと納得。特に静けさと振動のなさは素晴らしい。先頭車両に動力を集中する牽引式として、かつ、車両接続部に台車をもってきているからである、と物の本には書いてあったが、これは乗って初めて実感できる快適さだ。体感速度はJR車両の半分ぐらい。あ、いわゆるヨーロピアン大型バイクがこんな感じなのかも。当然ロングレールも採用してあった。
 出発して間もなく、ギルフォードの駅でぞろぞろと人が降り、ほとんど空席となった。ますます快適だが、これは鉄道会社も儲からんなあ。
 しかしおかげでイギリスの田舎の風景を堪能できた。
 どんよりと曇った空の下、山というほどでもない漠然とした起伏しかない土地に、太く高いオーク樹の疎林が茂り、下草の間を黒い小川が流れ、緑の芝地が飛び飛びに現れる。民家は少なく、畑にも人がいない。路駐は多いが、走っている車をあまり見ない。寂寥という言葉がぴったりあてはまる。うーむこれがホーンブロワーが鹿爪らしい顔をして歩いた、イギリスの大地なのだなあ。
 北海道そっくりの風景といわれるが、もっと適切なたとえがある。そこらじゅうがゴルフ場なのだ。というか、ゴルフ場という代物は、あれは多分イギリスのこの風景をまねて世界中に広まったのではないか。自国と同じ遊びをしようとしたイギリス人たちが、一緒にこの造作まで輸出したものだろう──などと思いにふけりながら外を見ていると、実際芝生の中に旗が立っていて、ゴルフ場みたいではなくゴルフ場そのものであることが判明したりする。油断ならん。
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 しかし馬がいる。牛もいる。羊もいればロバもいる。その辺りは確かに牧草地だ。一度、牛ぐらいある巨大な羊を見たような気がするが、あれは一体なんだったのか。
 日本の風景を特徴づけ、また壊滅的に破壊している、鉄骨造りの高圧線鉄塔。あれは英国にないのかと思ったら、あることはある。たまに野っぱらを延々と横切っていく。しかしだいぶ小さく、せいぜい数万ボルト級の鉄塔と見た。七十六万ボルトを通す日本の大鉄塔ほどではない。
 しかし民家の周りの6600ボルト線はまったくない。すべて地中式らしい。これが風景をとてつもなく端正にしている。看板が少ない、というより、看板以前に文字というものの掲示が少ないせいもあって、景色に落ち着きを感じる。この辺り、景観をトータルで考えずにむやみと看板を立てる日本人は、確かにアジア人なのだと実感する。
 言い忘れていたが列車の架線もない。線路上に絶縁設備が見当たらなかったので、ディーゼルらしい。
 家屋敷は何か根本から日本のものと違う。どう違うのか三日間考えていたが、この日になって解けた。オールレンガなのだ。レンガレンガレンガ。とにかくどっしり、風格作り。そしてペンキペンキペンキ。レンガ家屋は長持ちするが汚れる(必ず煙突があるから)。そこでペンキを塗りたくる。そうやって日本家屋の倍ぐらい持たせたのが、イギリスの家々だ。
 家だけじゃない。役場もレンガ、倉庫もレンガ、陸橋もレンガ、工場もレンガ。新建材作りもあるにはあるが、数えるほど。パトリシアン2という洋物のPCゲームで、レンガとビールがもっとも基本的な資源として扱われている理由が、ようやくわかった。ここの連中はレンガがないと本当に家が造れないんだ。まあ、地震も台風もないからなあ。
 関係ないが、ホテルの近所のアールズコート駅の天蓋は、ぎょっとしてしまうほど鉄骨が細く、こいつら耐震性ってものをまるで知らんな、と思ったことだ。ここだけは、技術の洗練という点で、日本の木造軸組み家屋のほうが勝ってる!
10:00 民家のテレビ用VHF八木アンテナの向きが変わり始める。ここまではロンドンのほうを向いていたが、南を向き始めた。ポーツマスの局を狙い始めたらしい。
 ピーターズフィールド駅で小学生と思しき十人ほどの男女が乗ってくる。これがまあ、ぴーちくぱーちくにぎやか。あっという間に列車内はハリーポッター状態。ロンドン文化圏を出て、中間の田舎地帯を抜けて、ポーツマス圏の田舎の子供たちが都会に遊びに出る、という図式らしい。あまりかわいいのでつい子供たちの声を録音した。
 踏切を初めて目撃する。なんというかここでも割り切ってるイギリス人。左側通行の、左側にしか遮断バーがないのだ。
 列車はさらに進み、緑の牧草地で他の生物も見かける。うまそうなガチョウの群れがいる。それに……あの首の長い妙な家畜はなんだ?
「あぅぱーかー!」
 そうだ、あれはアルパカだな。叫んだのは例の小学生たち。彼らにとっても珍しかったらしい。だが、なんでイギリスにアルパカがいるんだ。
 ポーツマスに入る直前に、お墓を目撃した。緑の草地に、六十センチほどのモノリスや十字架が、いくつも並んでいた。石の種類もさまざま。西洋のお墓といえばワシントンの無名戦士の墓みたいなものを想像していたが、そうか、こっちが本道か。別に誰も見ていなかったが、写真を撮るのは控えた。
 ときどき、線路端に三畳ほどのコンクリート小屋があるのを見かけた。誰もおらず、中に椅子しかなく、築30年は立っているように見えた。あれはなんだったのか、保線工夫の休憩所か。
10:35 ポーツマスハーバーに着。
 駅前で衛星即位したら、今度は10mぐらいの誤差で成功した。ロンドンとは別の地図を用意したのだがそれが成功したらしい。でも、ポーツマスの地理は底抜けに簡単なので、余り意味がなかった。
 最初の目的は、湾を渡ったゴスポート市にある王立潜水艦博物館と決めている。運良く、駅を出てすぐ左にゴスポートフェリーの乗り場があった。自販機で2ポンドの往復チケットを購入し、フェリーを待つ。特に時刻表のようなものはなく、一隻でピストン輸送している様子だ。
 来たフェリーに乗り、港の様子を見ていると、すぐに対岸についてしまった。五分もかからない。定員二百人ぐらいの小さな船で、船名はスピリット・オブ・ポーツマス。どういうわけか下水のにおいのする船だった。ちなみに、自転車やバイクが乗船可能だ。
 北の軍港にスキージャンプ甲板を持つ空母が見えたが、船名はわからない。インビンシブルか。
11:00 フェリー乗り場から看板があったので、それに従って南方にある潜水艦博物館へと、レンガ張りの歩道を歩く。3/4マイルの表示が出ていた。歩く道筋、人気がなく電線もない起伏に乏しい干潟の光景を遠望し、木造の橋を渡り(もっともこの橋は1985年製だった)、感慨に浸る。
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 ヨットハーバーがあり、無慮数百隻のヨットやボートが係留してある。索具や金具に風が触れて、ひゅうひゅうチンチンと物悲しい音が上がる。在りし日の軍港かくあらん。いや、昔はマストも船体も木だったからもっと静かだったかも。
11:20分ごろに博物館に到着。
 ここで書き手としての問題が発生。ここまでをロンドン-香港間の機内でPC入力したのだが、香港で乗り換える際に、これまでの行動を記したメモ帳がないことに気づいた。機内か、その後のどこかで紛失したらしい。よって細かいことを補完できない。非常に残念だが、ここから先は記憶に頼って書く。
 博物館の入り口には、モーターを鉄枠で囲んだ、日本のJAMSTECの「かいこう」みたいなものが飾ってある。さてはと見れば、世界最初期のURVの一つ、Cutletと書いてあった。って、これカツレツ?
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 海軍基地の敷地の中を通り、ビジターセンターへ。6ポンド少々を払って、潜水艦内見物ツアーを申し込む。11:50分から、ということなのでスーベニアショップを見てまわる。む、鋳物のおもちゃ型鉛筆削りが1.4ポンド? 安い! と思ってごっそり買い込む。
 英海軍最初の潜水艦、ホランド1型の、沈没後に引き上げられた本物の残骸を見物した後、本日午前のハイライト、HMSアライアンスの見学ツアーに加わる。
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11:50 退役潜水艦乗り、ダン・クリューヴィル氏のガイドにより、艦首魚雷室から乗船する。同行は約20名、うち6.7人は子供、自分以外のすべては白人。ク氏は温厚かつ陽気なサンタを思わせる初老の男性で、巧みな話術で観客をしばしば笑わせる。だが艦に入って最初に質問したことは「皆さんの中に軍人はいますか?(推測)」だった。それに答えてアーミー、エアフォース、などと答えるイギリス人たち。ううむ屈託がない。
 初老の観客が数人おり、うち一人の銀髪の婦人が、夫が潜水艦乗りでした、と語る。しかし1976年に亡くなりました。これがク氏の感興をいたくそそったらしく、その後おりにふれ婦人に話の水を向けていた。ずいぶんドラマチックな展開であり、聞き取れなかったことが痛恨である。
 アライアンス号は海面から突き出したコンクリートブロックの上に固定されており、水には浮いていなし現役艦でもない。艦首にタライ型の巨大なソナーを乗せている。英国にある第二次世界大戦当時の潜水艦のなかで唯一、見学可能なものであるが、長年の展示で傷んでしまったので、2002年より長期保存のための改修プログラムを立案した。2004年からロトくじの財団に出資を依頼しており、2005年6月からの開始を望んでいる、とは表の説明版に書いてあったこと。ああいかん、全長や排水量などのスペックを見忘れた。
 前部魚雷室、発令所、機関室、そして後部魚雷室の各所で立ち止まって解説を受けた。その後、後部側面に後付したハッチから退出するのだが、そこに掲示されていた文句が振るっている。
「Your guide is a Volunteer. Who gives up his free time to help you enjoy your tour of the Submarine. --He also need a drink after work.」
 最後の一行は赤字強調。“ガイドはボランティアで解説をしております。しかし、仕事の後の一杯があってこそ。”みたいな文句かな。
 それを見た観客が笑っておひねりを渡す渡す。チップの習慣のある国だから抵抗がないんだろうなあ。皆に習って50ペンスを渡しておいた。
 潜水艦自体については、えーとその、なんだ、よくわからん。パイプとバルブが無闇やたらと多かったこと、映画の「Uボート」みたいにほんとに狭いのがわかったことぐらいが収穫か。各所の説明文と図は撮影したので、エンジン性能だとか給排気系統図だとかはわかったが、こういうの、ネットでもわかりそうだよなあ。まあ、ロイヤルネービのセンスがわかっただけでよしとするか。
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12:30ごろ 潜水艦の隣のちっさな軽食ショップで昼食を取る。マッシュルームとハムのパイ、ぶどうのスコン、ダイエットコーク。これが安いわりにうまくて感激した。
12:50 付属の潜水艦博物館を見る。浮力やソナーやペリスコープについて、子供向けにわかりやすくアレンジした教材が並ぶ。なんかここでも、日本と微妙に感覚が違う。サーチアンドデストロイを堂々と教えてるんだよな、必須科目みたいに。
 陳列棚の一つに、場違いなものが飾ってある。なんで日本刀があるんだ? それにシュマイザーも! 説明を読むと、潜水艦ゆかりの戦闘でぶんどった鹵獲品であった。日本刀は、キャプテン・スコット・ベルが、仏領インドシナで日本軍将校から譲り受けたとあった。鍔は真鍮張りで笹の葉が彫ってあり、鞘は革張り。日本刀のことはほとんど分からんが、かなり立派なものに見えたぞ。シュマイザーのほうは、イタリアのスクーナーから分捕ったとあった。
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 ほかにも、分捕ったナチの旗だとか分捕ったナチの短剣だとか、潜水艦のジョリーロジャーだとか潜水艦の歯医者用の歯科ドリル(これ、初めて見たんだけど、ミシンみたいで面白い)を見たのち、退出した。
14:00 付属の潜水艦兵器博物館(というか博物倉庫)なども流し見したのち、ポーツマスへの帰路につく。だってまだ、この旅一番の目的であるビクトリー号を見てないからな。
 あ、博物倉庫にはポラリスミサイルの実物がごろんと転がっていた。
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 干潟を見て、木の橋を渡り、フェリーに乗って、ポーツマス駅へ戻った。ビクトリー号はそこからすぐ北だ。
14:50 ビクトリー号の一帯はポーツマス・ヒストリカル・ドックヤードと称され、海軍のレジャーランドになっていた。ビクトリー号、ウォーリア号、その他いくつかの船と、いくつかのショップと博物館が並んでいる。(もちろん建物はレンガレンガレンガだ)
 受付でシングルアトラクションチケット、10.6ポンドを買う。時間的にもシングルでいいだろうと。早速ビクトリー号へ向かう。
15:00 H.M.S.Victoryを見る。レプリカでない、本物の現役の木造戦列艦だ。万が一フランスが攻めてくるようなことがあれば、再びこの船がイギリス海峡に乗り出して迎え撃つのだ! いや、無理だと思うだろうけど、なんか国民性からしてやりそうな気がする。
 船は岸壁に掘られた深い穴の中に、多くの鉄柱によって支えられていた。というか、多分、昔の乾ドックをひとつ、そのまま保存場所として使っている。だから船の高さも、喫水していたころと同じ。
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 たくさんの家族連れとともに中に入る。あれ、自由見学か? 事前に人からもらったレポートでは、案内人とともにツアーで入るとあったが。てことは、写真も撮り放題か? やったあ。
 ロウアー・ガンデッキのガンポートを一つ利用した入り口から、中に入り、順路に沿って隅々まで巡る。順次書き出していくと、
ロウアーガンデッキ(地下三階) →
ミドルガンデッキ(地下二階)→
アッパーガンデッキ(地下一階)→
その階の提督食堂および提督室 →
提督の寝室と、提督の秘書の部屋と、提督のPortable Water Closetすなわち「おまる」

前甲板 →
後甲板 →
後甲板の船長食堂、船長室その他(あ、最上後甲板には行ってないな)→
アッパーガンデッキに戻って地下へ→
オーロップ(地下四階)→
ホールド(地下五階、船倉)→
さらにぐるぐる回って退出。
 つまり一級戦列艦というものは六階建てのビルのような代物で、その中に700人以上の男が乗り込んでバタバタ走り回っていたわけだ。
 往時の熱気も今は消え、68ポンド砲が火を噴くことももはやない。いくつかの要因により、木と垢の匂いの立ち込める古くて狭い空間は、船というよりも建物を巡っているような気分になった。そう、国宝の犬山城だ。あれに似ていた。帆が張ってあり、海に浮いていれば、また別の感想を抱いたかもしれない。
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 ホーンブロワーやオーブリー艦長に思いをはせつつ船を下りると雨で、もう夕方。傘を差して、残り一つぐらいは博物館に入るか、と歩き出す。
16:00 ビクトリー号の西側の、ビクトリー号博物館を見る。名前は博物館だが、規模は資料館程度。入っていくと、主にミニチュアを並べた固定展示の他に、9分間のパノラマがあるという。パノラマとはなんぞや、と他の英人客たちとともに入る。
 最初は簡単な映画。実写とイラストをとりまぜて、19世紀初頭のヨーロッパで猛威を振るった、ナポレオンなる極悪非道な男の脅威と、雄雄しきロイヤルネービーが対決するまでのくだりが語られる。けっこうかっこいい。
 それが済むと奥の扉が開いて、おや、もう移動? と思いつつ足を運ぶと、ぎゃー、蝋人形だ。砲戦時の戦列艦内を再現したジオラマ。砲は鳴る鳴る手足はもげる。もちろんここでも事実に忠実なイギリス魂が発揮されて、肉や骨が見えまくり。
 次の間はネルソン死亡のシーン。ピンスポで照らされたネルソン人形が、なにやらぼそぼそ遺言をとなえながら、讃美歌に包まれてぐったりと……。
 その次はトラファルガー海戦の上空俯瞰で、15センチぐらいのサイズで再現された帆船模型が無慮数十隻、青いプラスチックの海面に並んでいるという寸法。なんでもえらく勇猛な中央突破作戦があったらしく、ビクトリー号は敵戦列のど真ん中で三十分も敵弾を受けまくったとか。かくして大英帝国は悪しき西仏連合国を打ち破り、四海にその威を轟かしたのであった。いやもうご苦労様。
 ここといい、ロンドンのトラファルガー広場の盛大さといい、イギリス人にとってナポレオンに勝ったのは本当に嬉しかったのだなあと実感する。
 ついでに、この資料館の二階には大きなボートが飾ってあって、これがテムズ川上で行われたネルソンの葬儀のためのものだそうだ。それってホーンブロワーが指揮したあの船か。するとフォレスターもこの船を見たのだな。ほほー。
 日本では東郷平八郎がまさにこのポジションにある人だけど……昨今の情勢をかんがみると、にわかファンが出てきたりするのかな。
17:00 みやげ物屋にて家族向けにちょこちょことみやげを買い、ドックヤードを出る。しかしその直前に、例の台座付きブロンズ像を出口近くで見かける。面白いことに足元に犬を従えた人の像だ。名前を確かめてみると、キャプテン・ロバート・ファルコン・スコットとある。南極探検のスコット卿か。知っている人を見つけたのでまた一つ得をした気分。

 ポーツマスを去る前に葉書を投函したい。それにフィッシュンチップスも食いたい。ブリタニアという、看板だけは荘重な、ファーストフードっぽいチップス屋を見つけたのだ。
 いったん駅へ行って(すぐ目の前だ)列車の時間を確認し、ブリタニアに入る。例によって最小の魚アンドチップスをプリーズと頼み、席に着く。
 来ました。魚芋。期待以上にうすらでかいコッドと、期待以上にぐしゃぐしゃ曲がった乱雑なポテト。酢は? あるある、なんか茶色いのがある! 大喜びでばしゃばしゃかけて食べる。腹が減っていたのでけっこう入ったが、それでもポテトは半分までだった。なんとも予想通り。
 店内には他に、両親と6.7歳の少年少女からなる家族連れが来ていたが、彼らも、ごく日常の食事という風情で、このコレステロールの塊みたいな食べ物を食べていた。毎日こんなんだと早死にするよ。
 葉書を書き、駅までの途中のポストに投函し、駅に入る。列車は17:45分のはずだ。
17:45 列車に乗り遅れる_| ̄|○
 ホームに下りていった途端、あっちょっ待っ、と伸ばした手をかすめてウォータールー行きの特急は出て行ってしまった。どういうつもりだイギリス人、時間通りに出すなんておかしいじゃないか。
 仕方なく、別のホームに止まっていた、遠回りの列車に乗って帰途に着く。
20:18 ウォータールー着。ベーカールー線に乗り換え、ピカデリー駅でピカデリー船に乗り換え、何の芸もなく帰って寝ようとしたら、ホテルのカードキーが認証されなかったので、フロントでマイカードイズバッドと何度か交渉し、部屋に戻って寝る。

●10月26日 雨
 今日は帰国日。
 起床して朝食を食べに行ったら、日本人女性がいたので、少々会話する。日本人だと思ったのは、ウェイターに何かを進められたときの断り方。韓国人や中国人とはやはり表情が微妙に違う。
10:00 チェックアウト。5ポンド請求される。昨日の朝食の時のサイン、あれはやっぱり間違いだったらしい。ユーエートクックドブレックファスト、と言われる。いや食ってないよ。しかし、抗弁するのが面倒くさく、金を払ってホテルを出る。ネット代は請求されなかった。
 なんというかこの、聞き取れずに適当にうなずいてしまうとか、ちょっとした誤解を解くのが面倒だとかの理由で、1000円程度の損ならそのまま耐えてしまうことが実に多い。なんとも情けない。今回の旅行では合計1万円近く損したような気がする。ここを改善できねば真の旅人ではないと思う。
 アールズコート駅よりピカデリー線でヒースロー空港へ。
12:00 ヒースローの出国手続きならびにボディチェックにうんざりする。ディズニーランドのアトラクションのように人が並び、順番にチェックを受ける。ベルトを外し、靴まで脱げといわれた。およそ金物はすべてだめ。しかも手に持っていたコークのペットボトルまで取り上げられた。その場で飲めばよかった。
 高級デパート、ハロッズの出店があったので、(おたくでない)親戚などのために紅茶とクッキーを買う。レジのおばちゃんがいかにもぞんざいに品物を扱ったので、プリーズモアソフトリーと言ってやろうとしたが、タイミングを逃していいそびれる。ああもう。
13:30 ゲートからバスで移動し、ジャンボ機に乗る。CX252便 60F席
 今度の席は窓際ではなく、天測は不可能だった。また、左隣がブリティッシュの太ったおじさん、右隣がフィリピンの太ったおじさんだったため、姿勢的には苦しかったが、両隣とも友好的で体臭等もなかったので、総じて楽しい空の旅だった。
 途中睡眠を挟みつつ、夕食と朝食をいただく。行きの旅でもしやと思ったが、今回確信する。キャセイパシフィックの飯はうまい!

●10月27日 晴れ
01:30 香港国際空港到着。ほぼ12時間の乗機だった
 香港時間に変更。
8:00 ジャンボから降り、ボディチェックを通って、トラムに乗り、次のゲートまで移動したところで、旅行中のことをあらかた書いてあるメモ帳を紛失したことに気づく。
 間の悪いことに香港空港のトラムは一方通行になっていて、デパーチャーの人間がアライバルの方向へ戻ることはできない。やむをえず、例の長大通路を一散に走り、ボディチェックへ戻る。
 ドゥユールックメモパッドと聞くと、ミーモォパァッ? と発音を訂正される。そうそうそのミーモーパッ。しかし苦労の甲斐なくボディチェックでは見つからなかった。
 再びトラムに乗って出発ゲートへ。かなり息が切れている。ゲートに着いた時ふと思い立ち、かたわらのキャセイのカウンターで同じ質問をしてみると、日本語アテンダントが出てきた。前の便に忘れ物がなかったか、無線機で丁寧に聞いてくれたが、結局見つからなかった。しかし彼女のサービスには感謝したい。キャセイを好きになる。
9:30 CX530 エアバス330にて離陸。
10:45 中継地の台北に着。雨。
11:50 台北発。
14:20 中部国際空港着。
 JSTに変更
15:30 日本入国。税関でのチェックはあったが、物より態度を見る風だった。
 ロンドンは寒かったですかとの問いに、寒かったと返答。
 そうそう、ロンドンの気温は日本よりだいぶ下回ったが、Tシャツと長袖と綿のジャンパーでぎりぎりしのげる程度だった。ホテルの部屋にも暖房は不要だった。
 しかしあと一週間遅かったら、これ以上の対策が必要だったと思う。

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