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2006年10月28日 (土)

大英帝国上陸計画06 帰還編

 なんとか生きて帰ったので、のちほどレポートを書きます。

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2006年10月21日 (土)

大英帝国上陸計画05 荷造編

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 出発前日となったので、荷をまとめた。 トランク一つとサブザック一つという構成。ウエストポーチを使おうか迷ったが、道で見かけたものを適当に買って持ち帰るという目的には不向きなので、やめる。

 もっともかさばったのは衣服だが、電子機器がその次に多い。ノートPCとデジカメに加えて、電子辞書とポケナビ(Mio168RS)を持っていくことにした。ナビにはあらゆる地図を応用できるGarmapをインストールして、ロンドンに対応させた(はず)。できれば一日ぐらい、これを使って大ロンドンの路地裏をおおいに迷ってみたいが、たぶんそれほど活躍する機会はない。
これらにそれぞれの電源コードとアダプターがつくので、かなりうっとうしい。

 時間割表と、目的別にプリントアウトした地図を用意し、主要な連絡先を二つの紙にメモり、たぶん使うであろう地下鉄の線名・駅名を暗記した。カードと現金は荷物の三ヵ所に分散。トラベラーズ・チェックは、面倒なので今回は無し。
ついでに現在の仕事先の連絡先を妻に教える等、死亡対策もしておいた。まあ、今の世情だと、自分が出国している間に極東で変事が起こって、帰れなくなるほうが心配だ。

 それでは関係者の皆様へ。明日正午のメールチェックを最後に、小川はイギリスへ行って参ります。向こうでのメールチェックは試してみますが、できないかもしれません。
 帰宅予定日は27日金曜日夜です。

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2006年10月20日 (金)

大英帝国上陸計画04 両替編

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そろそろ出発日も近づいてきたので、ポンド紙幣を入手することにした。メインバンクにしている銀行の、近所の出張所には外貨がなく、市の本店に行かされた。
とりあえず五万円分頼もうとしたら、そういう買い方はできなかった。ポンド側のまとまった単位に合わせて、細かい日本円を支払うという形式。49177円払って、10ポンド札21枚を入手。交換レートは手数料込み1ポンド234円。
一年前のガイドブックには、1ポンド200円ほどと書いてある。過去の記録を調べると、130円まで落ちたこともあったらしいが。
うぬ、強くなっているな、ポンド。

10ポンド紙幣の表はエリザベス女王。これは全種共通。
裏は、おお、ダーウィンじゃないか。最近ファンなんだ、このおっさん。

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2006年10月16日 (月)

肉食

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猫の顔がずいぶん凶悪に見えるなあと思っていたら、それは歯の抜け替わりでダブっているのだと指摘されました。

昨日、連載の四回目を脱稿。

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2006年10月13日 (金)

大英帝国上陸計画03・その他

 向こうで運転するつもりはないんですが、身分証明などに便利だと言われたので、平針へ行って国際免許を取って来ました。ちょっと意外だったのが、二輪全般OKのはんこをもらえたこと。俺、まだ中型(今は普自二か)だけなのに。得した気分。

 平針への往復はSRで。
 相変わらず80キロ越えるときついです。90で頑張ってる感じ、100でかなり頑張ってる感じ、110以上は無理。400単気筒なので、風圧もさることながら、ビィィィィッという高周波の振動がすごい。チェーンソーにでも乗っている気分になります。
 いまほしいのはカワサキのER-6f。並列二気筒600というおもしろいカテゴリーなので。

 帰ってからはポプラ社の短編を執筆。
 天涯が終わってから取り組み始めた長編は、まだめぼしい進展がなし。

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2006年10月 7日 (土)

大英帝国上陸計画02

「イギリスへ行くならこれを見なきゃダメ!」という友人の進言に従い、英国が産みだした最高の文化のひとつとされる格調高いDVD作品を観賞しました。
タイトル、「Monty Python and the Holy Grail」。

いかにも、素晴らしい出来でした。
アーサー王物語に想を得た聖杯探索の旅。鬼面人を驚かす展開と、細部にこだわった台詞回し。キャストやロケーションを存分に活用した、美しい映像。そして斬新かつ大胆な演出。はっと胸を突かれること幾たびか、騎士ボースの無残な死に様には思わず涙を誘われました。
そして伝説とまで言われたエンディングを目の当たりにしたときには、息さえも止まるかと思いました。
英国魂の真髄、しかとつかんだ思いです。いや、旅の前に見てよかった。

もちろんそういった感動は、爆笑の合間にやってたわけですが。

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2006年10月 6日 (金)

大英帝国上陸計画01

 22日からイギリスに行ってきます。目的はほっつき歩くこと。まあなんだ、西洋コンプレックスの発露だと思ってくれ。海外旅行は十年ぶりで英語もダメなので、はなはだ不安です。英語がダメっていうか、俺そもそも人と話すのがダメだし。話しかけることはできるが、話すことがない。
 予習がてら夏目漱石の「自轉車日記」を読んだら、大笑いしました。うん、この人も自虐で人嫌いだったよなあ。

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2006年10月 3日 (火)

天涯の砦

 これ、旧ブログで紹介したっきり埋もれてしまったので、もう一度張っておきます。
 8月25日、早川書房のハヤカワJコレクションより、拙作「天涯の砦」が発売されました。1500円ぐらいです。

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いい加減なコラム

 中日新聞の夕刊に夕歩道というコラムがある。今日はちょっとひどいことが書かれていたので、言及しておく。

 以下、10月3日中日新聞夕刊「夕歩道」を転載
――――――
 今ごろはどのあたりを飛んでいるのか。太陽観測衛星「ひので」のことである。見つかるはずはないが秋の夜空を見上げたりする。先月二十三日、M5ロケットによって鹿児島県・内之浦から打ち上げられた。

 M5は固体燃料を使う世界最大級のロケットだという。だが、いかにもコストがかかりすぎる。液体燃料のほうがはるかに安くつく。といったことからどうやら最後の固体燃料ロケットになりそうな気配である。

 世は液体燃料の時代らしい。ロケットばかりではない。私たちもまた液体燃料で動いているような気がする。ペットボトルのお茶や清涼飲料水をやたら飲む。動物には本来、固体燃料が不可欠と思われるのだが。
――――――
以上

 いかにもコストがかかりすぎるというが、「いかにも」でもなんでもない。固体だから高い、液体だから安いなどという理屈はない。とはいえ、M5ロケットは低軌道に2tをあげるために約65億円かかり、同10トンを80億円であげるH-2Aより割高であることは確か。
 しかしM5には、現在削りだし製作のロケットを、フィラメントワインディングという新技法で作り変えることで、30億円台にコストダウンできる見通しがあった。それに要する技術開発比は100億円で済むという見通しだった。
 しかるに、M5の後継に予定されているSRB-A流用の小型ロケットは、外国のロケットエンジニアか「M5を捨てて新型を取るなんて、日本もずいぶん気前がいいね」と皮肉られる代物。また、同じような後継中型ロケットと目されているGXロケット(液 体ロケットだ)にいたっては、100億円の予定だった開発費が350億円にまで膨らんでしまった。
http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20060926ik21.htm
「世は液体燃料の時代らしい」などという言はまったく当たらない。

 ここまで書いてから気づいたけど、この人、もしかしてM5を惜しんでるのか? だったらなんというか……モウチョットピントノアッタ惜シミ方ヲシテクレヨ。

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2006年10月 2日 (月)

日本人の宇宙移民

>七月末のセレーネ・シンポジウムでの発言について、変更したい。あの時は宇宙植民についての考えがまだ浅かった。

 今日は、このことについて。
七月末、月探査機セレーネの打ち上げを来年に控えて、振興シンポジウムにパネリストとして出席しました。その席上、日本人が移民したがるかどうかについての文脈で、満州とブラジルについて言及しました。
曰く、日本人は島国に引きこもる民族だと思われがちだが、過去に満州やブラジルに、移民として出て行った史実がある。だから日本人だって、気質上、進出する気がないわけではない。宇宙にだって行けるだろう。
「先方には迷惑もかけましたが」のひとことをつけた上で、そう意見しました。

 しかしその後いろいろ調べてみると、この二つは移民問題を語る上で不適当だったと思われてきました。
まず、満州建国という運動は、それが侵略だったかどうかを脇においてもなお、あまり成功した活動ではなかった。よく語られるのは、満州国が関東軍の傀儡国家として作られ、諸外国の顰蹙をかったという話ですが、ではそこまでやって日本が得をしたかというと、あまりしていない。
1931年の満州国建国以前に、日本人が何をやっていたかというと、国策会社である満鉄の周辺事業をやって、内輪の経済を回していただけだった。出先で中国人、満州人、あるいは(当時のいわゆる)朝鮮人、蒙古人といった人々と、本当に五族共和をやろうとした人間はごくごく少数だった。景気のいい占領地で一山当てて、儲かったら日本に帰ろうという、山師みたいな連中が多かったらしいですね。満州が国になったとき以降は、言うまでもなく農業移民の悲劇があった。

 ブラジルはブラジルで、棄民と言われるほどひどい扱いがあった。移住はしたものの、ろくに作物も取れず、本国のサポートもなく、ほったらかし。留まることも帰ることもできずに一村全滅したところもあった。

 両方に共通するのは、移住を主導したのが国民でなく政府であり、しかも粘り強さや考え深さを欠いたということ。移住した人々にしても、現地に根付こうとした人はあまりなく、最終的には国へ帰ることを考えていたらしい。つまりは日本より居心地のいい第二の故郷を見つけられなかった。
そういうわけで、この両移民を引き合いに出して宇宙移民を語るのは不適当だという結論になりました。 

 アメリカを作った初期の英国移民や、アルゼンチンに入植したスペイン人、それにディアスポラを経験したユダヤ人などに比べると、やはり前後の事情というか、どうしても移民しなければならないという必然性が足りていない、と感じさせられます。
これは、「日本人」というくくりで移民を語るのがよくないってことなのだろうな。むしろ、宇宙移民を考える際には、国境に縛られない方向でいくのが正しいのかもしれません。

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